戦国策 / 鄒忌事宣王
鄒忌事宣王,仕人眾,宣王不悅。晏首貴而仕人寡,王悅之。鄒忌謂宣王曰:「忌聞以為有一子之孝,不如有五子之孝。今首之所進仕者,以幾何人?」宣王因以晏首壅塞之。
書き下し
鄒忌宣王に事へ、仕人眾く、宣王悅ばず。晏首貴くして仕人寡く、王之を悅ぶ。鄒忌宣王に謂ひて曰く、「忌聞く、以て一子の孝有るは、五子の孝有るに如かず、と。今首の進め仕はしむる所の者、幾何人ぞ。」宣王因りて晏首を以て之を壅塞す。
現代語訳
鄒忌が宣王に仕えており、彼が推挙して仕官させた者が多かったため、宣王はこれを快く思っていなかった。一方、晏首は身分は高いが推挙する者が少なく、王はこれを喜んでいた。鄒忌は宣王に言った。「私が聞くところでは、一人の子の孝行は、五人の子の孝行には及ばないと申します。今、晏首が推挙して仕官させた者は、いったい何人おりますでしょうか。」宣王はこれを聞いて、晏首が推挙のあり方に問題があるのではないかと疑うようになり、彼を退けるようになった。
解説
本篇は短い逸話で、多くの人材を推挙してきた鄒忌が、王に疎まれたことへの対抗策として、寡黙に見える晏首の推挙のあり方に疑いの目を向けさせる話です。「一人の子の孝行より五人の子の孝行の方が優れているはずなのに、なぜ推挙者が少ない晏首の方が評価されるのか」という問いかけによって、王の評価基準そのものに揺さぶりをかけています。原文が簡潔なため詳細な背景は分かりませんが、人材登用の量そのものを評価すべきだという鄒忌の主張と、その裏にある政敵への牽制という二重の意図が読み取れます。人材を多く登用すること自体は本来良いことのはずですが、それが王の警戒(派閥形成への懸念)を招くという逆説も含んでおり、組織内で目立つ実績を積むことが、必ずしも評価に直結せず、むしろ猜疑を招く場合があるという政治力学を示しています。
この章句が説くこと
鄒忌晏首宣王人材登用派閥
関連する章句
-
『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
-
史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
-
論語 陽貨篇子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。
-
論語 憲問篇子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。
-
史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
-
孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」