戦国策 / 范子因王稽入秦
范子因王稽入秦,獻書昭王曰:「臣聞明主蒞正,有功者不得不賞,有能者不得不官;勞大者其祿厚,功多者其爵尊,能治眾者其官大。故不能者不敢當其職焉,能者亦不得蔽隱。使以臣之言為可,則行而益利其道;若將弗行,則久留臣無為也。語曰:『人主賞所愛,而罰所惡。明主則不然,賞必加於有功,刑必斷於有罪。』今臣之胸不足以當椹質,要不足以待斧鉞,豈敢以疑事嘗試於王乎?雖以臣為賤而輕辱臣,獨不重任臣者後無反覆於王前耶!「臣聞周有砥厄,宋有結綠,梁有懸黎,楚有和璞。此四寶者,工之所失也,而為天下名器。然則聖王之所棄者,獨不足以厚國家乎?「臣聞善厚家者,取之於國;善厚國者,取之於諸侯。天下有明主,則諸侯不得擅厚矣。是何故也?為其凋榮也。良醫知病人之死生,聖主明於成敗之事,利則行之,害則舍之,疑則少嘗之,雖堯、舜、禹、湯復生,弗能改已!語之至者,臣不敢載之於書;其淺者又不足聽也。意者,臣愚而不闔於王心耶!已其言臣者,將賤而不足聽耶!非若是也,則臣之志,願少賜游觀之間,望見足下而入之。」書上,秦王說之,因謝王稽說,使人持車召之。
新字:范子因王稽入秦,献書昭王曰:「臣聞明主蒞正,有功者不得不賞,有能者不得不官;労大者其禄厚,功多者其爵尊,能治眾者其官大。故不能者不敢当其職焉,能者亦不得蔽隠。使以臣之言為可,則行而益利其道;若将弗行,則久留臣無為也。語曰:『人主賞所愛,而罰所悪。明主則不然,賞必加於有功,刑必断於有罪。』今臣之胸不足以当椹質,要不足以待斧鉞,豈敢以疑事嘗試於王乎?雖以臣為賤而軽辱臣,独不重任臣者後無反覆於王前耶!「臣聞周有砥厄,宋有結綠,梁有懸黎,楚有和璞。此四宝者,工之所失也,而為天下名器。然則聖王之所棄者,独不足以厚国家乎?「臣聞善厚家者,取之於国;善厚国者,取之於諸侯。天下有明主,則諸侯不得擅厚矣。是何故也?為其凋栄也。良医知病人之死生,聖主明於成敗之事,利則行之,害則舎之,疑則少嘗之,雖堯、舜、禹、湯復生,弗能改已!語之至者,臣不敢載之於書;其浅者又不足聴也。意者,臣愚而不闔於王心耶!已其言臣者,将賤而不足聴耶!非若是也,則臣之志,願少賜游観之間,望見足下而入之。」書上,秦王説之,因謝王稽説,使人持車召之。
書き下し
范子、王稽に因りて秦に入り、書を昭王に獻じて曰く、「臣聞く、明主の正に蒞(のぞ)むや、功有る者は賞せざるを得ず、能有る者は官せざるを得ず。勞大なる者は其の祿厚く、功多き者は其の爵尊く、能く衆を治むる者は其の官大なり、と。故に不能なる者は敢へて其の職に當らず、能なる者も亦た蔽隱せらるるを得ず。臣の言を以て可と為さば、則ち行ひて益々其の道を利せよ。若し將に行はざらんとせば、則ち久しく臣を留むるも爲す無きなり。語に曰く、『人主は愛する所を賞し、惡む所を罰す』と。明主は則ち然らず、賞は必ず功有るに加へ、刑は必ず罪有るに斷ず。今臣の胸は椹質に當るに足らず、要は斧鉞を待つに足らず、豈敢へて疑事を以て王に嘗試せんや。臣を賤と爲して輕んじ辱しむと雖も、獨り臣を重任する者の後王の前に反覆する無きを重んぜざらんや。「臣聞く、周に砥厄有り、宋に結綠有り、梁に懸黎有り、楚に和璞有り。此の四寶は工の失ふ所なるも、天下の名器と爲る。然らば則ち聖王の棄つる所の者、獨り以て國家を厚くするに足らざらんや。「臣聞く、善く家を厚くする者は之を國に取り、善く國を厚くする者は之を諸侯に取る、と。天下明主有らば、則ち諸侯厚きを擅にするを得ず。是れ何の故ぞや。其の榮を凋ましむるが爲なり。良醫は病人の死生を知り、聖主は成敗の事に明らかなり。利あらば則ち之を行ひ、害あらば則ち之を舍て、疑はしければ則ち少しく之を嘗む。堯・舜・禹・湯復び生くと雖も、改むる能はざるのみ。語の至れる者は、臣敢へて之を書に載せず。其の淺き者は又聽くに足らず。意ふに臣愚にして王の心に闔(かな)はざるか。已に臣を言ふ者、將に賤にして聽くに足らざらんとするか。是くの若きに非ざれば、則ち臣の志、願はくは少しく游觀の間を賜ひ、足下を望見して之に入らん。」書上る、秦王之を說び、因りて王稽に謝說し、人をして車を持して之を召さしむ。
現代語訳
范子(范雎)は王稽を頼って秦に入国し、昭王に上書して言った。「私が聞くところでは、明君が政治を行うにあたっては、功のある者を賞さないわけにはいかず、能力のある者を任用しないわけにはいきません。功労の大きい者はその俸禄を厚くし、功績の多い者はその爵位を高くし、多くの人をよく治められる者はその官職を大きくするものです。ですから無能な者はその職に当たることができず、有能な者もまた埋もれることはありません。もし私の言葉を採用に値するとお考えなら、実行してさらにその方策を役立ててください。もし実行されないおつもりなら、私を長くお引き止めになっても無意味です。ことわざに『君主は愛する者を賞し、憎む者を罰する』と言いますが、明君はそうではなく、賞は必ず功のある者に与え、刑罰は必ず罪のある者に下すものです。今、私の胸はまな板に載せられるに値せず、腰は斧や鉞を受けるに値しません。どうして疑わしい策を王に対して試みたりしましょうか。たとえ私を身分低いとして軽んじ辱められたとしても、私を重く用いてくださる方(王稽)が後々王の御前でその判断を覆されることのないよう、重んじるべきではありませんか。「私が聞くところでは、周には砥厄という宝玉があり、宋には結綠、梁には懸黎、楚には和璞という宝玉があります。この四つの宝は、もともと職人が磨き損なって見捨てたものでしたが、後に天下の名器となりました。だとすれば、聖王が見捨てるような人物も、実は国家を豊かにするに足る人材ではないでしょうか。「私が聞くところでは、うまく家を富ませる者は国から利益を取り、うまく国を富ませる者は諸侯から利益を取るといいます。天下に明君がいれば、諸侯は勝手に富を独占することができません。それはなぜかといえば、その繁栄を削ぐからです。良医は病人の生死を見分け、聖なる君主は事の成否に明るいものです。利があれば行い、害があれば捨て、疑わしければ少し試してみる。たとえ堯・舜・禹・湯が生き返ったとしても、この道理を変えることはできません。言葉の中でも最も深いことは、私はあえて書面には記しません。浅いことはまた聞くに値しません。思いますに、私が愚かで王のお心にかなわないのでしょうか。それとも私について言う人が、私を身分低いとして取るに足らないとしているのでしょうか。もしそうでないならば、私の願いは、しばらく拝謁の機会を賜り、王のお姿を拝見してから申し上げたいと存じます。」上書が奉られると、秦王はこれを喜び、そこで王稽に礼を述べ、人を遣わして車で范雎を召し出させた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
戦国策・范睢至秦范睢秦に至る、王庭に迎へ、范睢に謂ひて曰く、「寡人宜しく身を以て令を受くること久しかるべし。今義渠の事急なれば、寡人日々自ら太后に請ふ。今義渠の事已(や)みぬれば、寡人乃ち身を以て命を受くるを得たり。躬(み)づから竊かに閔然として不敏なるも、敬んで賓主の禮を執らん。」范睢辭讓す。是の日范睢を見るに、見る者變色易容せざる無し。秦王左右を屏(しりぞ)け、宮中虛しくして人無く、秦王跪きて請ひて曰く、「先生何を以てか寡人に教ふるを幸ひせん。」范睢曰く、「唯唯。」間有りて、秦王復た請ふ、范睢曰く、「唯唯。」是くの若き者三たびす。秦王跽(ひざまづ)きて曰く、「先生幸ひに寡人に教へざるか。」范睢謝して曰く、「敢へて然るに非ざるなり。臣聞く、始め呂尚の文王に遇へるや、身漁父と為りて渭陽の濱に釣りせしのみ。是くの若きは交疏なり。已に一說して立ちて太師と為り、載せて俱に歸る者は、其の言深ければなり。故に文王果して功を呂尚に收め、卒に天下を擅にして身帝王と立てり。即し文王呂望を疏んじて與に深く言はざらしめば、是れ周に天子の德無く、文・武與に其の王を成す無からん。今臣は羇旅の臣にして、王に交疏し、而して願はくは陳ぜんとする所は、皆君を匡すの事にして、人の骨肉の間に處る。願はくは臣の陋忠を陳べんとするも、未だ王の心を知らざるなり。王三たび問ひて對へざる所以は是れなり。臣畏るる所有りて敢へて言はざるに非ざるなり。今日之を前に言ひて、明日之に伏誅せらるるを知るも、然れども臣敢へて畏れざるなり。大王信じて臣の言を行はば、死すとも以て臣の患ひと爲すに足らず、亡ぶとも以て臣の憂ひと爲すに足らず、身に漆して厲(らい)と爲り、髮を被りて狂と爲るも、以て臣の恥と爲すに足らず。五帝の聖にして死し、三王の仁にして死し、五伯の賢にして死し、烏獲の力にして死し、奔・育の勇にして死せり。死は人の必ず免れざる所なり。必然の勢に處りて、以て少しく秦に補ふ有る可くんば、此れ臣の大いに願ふ所なり、臣何をか患へん。伍子胥は橐に載せられて昭關を出で、夜行きて晝伏し、蔆水に至りて以て其の口を餌ふ無く、坐行蒲服して、食を呉市に乞ひ、卒に呉國を興し、闔廬を覇たらしめたり。臣をして謀を進むること伍子胥の如きを得しめ、之に幽囚を加へて、終身復た見えざるとも、是れ臣の說の行はるるなり、臣何をか憂へん。箕子・接輿は、身に漆して厲と爲り、髮を被りて狂と爲るも、殷・楚に益無かりき。臣をして箕子・接輿と行を同じくするを得しめ、身に漆すること以て賢とする所の主に補ふ可くんば、是れ臣の大榮なり、臣又何をか恥ぢん。臣の恐るる所は、獨り臣死するの後、天下臣の忠を盡くして身蹶(たふ)るるを見んことを恐るるなり。是を以て口を杜(と)ぢ足を裹みて、肯へて秦に即く莫きのみ。足下上は太后の嚴を畏れ、下は姦臣の態に惑ひ、深宮の中に居りて保傅の手を離れず、終身闇惑して與に姦を照らす無く、大なる者は宗廟滅覆し、小なる者は身以て孤危なり。此れ臣の恐るる所のみ。若し夫れ窮辱の事、死亡の患ひの若きは、臣敢へて畏れざるなり。臣死して秦治まらば、生けるより賢れり。」秦王跽きて曰く、「先生是れ何の言ぞや。夫れ秦國は僻遠にして、寡人は愚にして不肖なり。先生乃ち幸ひに此に至る、此れ天寡人を以て先生を慁(わづら)はし、先王の廟を存せしむるなり。寡人先生に命を受くるを得るは、此れ天の先王を幸ひして其の孤を棄てざる所以なり。先生奈何ぞ言ふこと此くの若くなる。事の大小と無く、上は太后に及び、下は大臣に至るまで、願はくは先生悉く以て寡人に教へ、寡人を疑ふ無かれ。」范睢再拜す、秦王も亦た再拜す。范睢曰く、「大王の國は、北に甘泉・谷口有り、南に涇・渭を帶び、右に隴・蜀、左に關・阪あり。戰車千乘、奮擊百萬。秦卒の勇、車騎の多きを以て、以て諸侯に當らば、譬へば韓盧を馳せて蹇兔を逐ふが若し。霸王の業致す可し。今反りて閉ぢて敢へて兵を山東に窺はざる者は、是れ穰侯國の爲に謀りて忠ならず、大王の計に失ふ所有ればなり。」王曰く、「願はくは失ふ所の計を聞かん。」睢曰く、「大王韓・魏を越えて強齊を攻むるは、計に非ざるなり。師を出だすこと少なければ、則ち以て齊を傷つくるに足らず。之を多くすれば則ち秦を害す。臣意ふに王の計、師を出だすこと少なくして、韓・魏の兵を悉くせんと欲するは則ち不義なり。今與國の親しむ可からざるを見て、人の國を越えて攻む、可ならんや。計に疏きなり。昔者、齊人楚を伐ちて、戰ひて勝ち、軍を破り將を殺し、地を再辟すること千里なるも、膚寸の地も得る者無かりき。豈に齊地を欲せざらんや、形有つ能はざればなり。諸侯齊の罷露するを見て、君臣の親しまざるを見て、兵を舉げて之を伐ち、主辱められ軍破れ、天下の笑ひと爲れり。然る所以の者は、其の楚を伐ちて韓・魏を肥やせばなり。此れ所謂『賊に兵を藉し盜に食を齎す』者なり。王は遠く交はりて近く攻むるに如かず、寸を得れば則ち王の寸なり、尺を得れば則ち王の尺なり。今此を舍てて遠く攻む、亦た繆(あやま)らざらんや。且つ昔者、中山の地、方五百里、趙獨り之を擅にす。功成り名立ち利附けば、則ち天下能く害する莫し。今韓・魏は、中國の處にして天下の樞なり。王若し霸たらんと欲せば、必ず中國に親しみて以て天下の樞と爲し、以て楚・趙を威(おど)すべし。趙彊ければ則ち楚附き、楚彊ければ則ち趙附く。楚・趙附けば則ち齊必ず懼れ、懼るれば必ず辭を卑くし幣を重くして以て秦に事へん。齊附きて韓・魏虛にす可きなり。」王曰く、「寡人魏に親しまんと欲するも、魏は變多きの國なり、寡人親しむ能はず。請ふ魏に親しむこと奈何と問はん。」范睢曰く、「辭を卑くし幣を重くして以て之に事へよ。不可ならば地を削りて之に賂せよ。不可ならば兵を舉げて之を伐て。」是に於て兵を舉げて邢丘を攻め、邢丘拔けて魏附くを請ふ。曰く、「秦・韓の地形は、相錯はること繡の如し。秦の韓有るは、木の蠹有るが若く、人の心腹を病むがごとし。天下變有らば、秦の爲に害を爲す者は韓より大なるは莫し。王は韓を收むるに如かず。」王曰く、「寡人韓を收めんと欲するも聽かず、之を爲すこと奈何せん。」范睢曰く、「兵を舉げて滎陽を攻むれば、則ち成睪の路通ぜず。北に太行の道を斬らば則ち上黨の兵下らず。一たび舉げて榮陽を攻むれば、則ち其の國斷ちて三と爲らん。魏・韓必ず亡ぶるを見ば、焉んぞ聽かざるを得んや。韓聽けば霸の事成る可し。」王曰く、「善し。」范睢曰く、「臣山東に居りしとき、齊の內に田單有るを聞くも、其の王有るを聞かず。秦に太后・穰侯・涇陽・華陽有るを聞くも、其の王有るを聞かず。夫れ國を擅にする之を王と謂ひ、能く利害を專らにする之を王と謂ひ、殺生の威を制する之を王と謂ふ。今太后行を擅にして顧みず、穰侯使を出だして報ぜず、涇陽・華陽擊斷して諱む無し。四貴備はりて國危からざる者、未だ之有らざるなり。此の四者の爲にすれば、下乃ち所謂王無きのみ。然らば則ち權焉んぞ傾かざるを得んや、令焉んぞ王より出づるを得んや。臣聞く、『善く國を爲むる者は、內に其の威を固くし、外に其の權を重くす』と。穰侯の使者は王の重きを操り、諸侯を決裂し、天下に符を剖ち、敵を征し國を伐ち、敢へて聽かざる莫し。戰ひて勝ち攻めて取れば、則ち利陶に歸す。國弊るれば、諸侯に御せられ、戰ひて敗るれば、則ち怨み百姓に結び、禍ひ社稷に歸す。詩に曰く、『木の實繁き者は其の枝を披き、其の枝を披く者は其の心を傷つく。其の都を大にする者は其の國を危くし、其の臣を尊くする者は其の主を卑くす。』と。淖齒齊の權を管し、閔王の筯を縮め、之を廟梁に縣け、宿昔にして死せり。李兌趙を用ゐ、主父の食を減じ、百日にして餓死せり。今秦、太后・穰侯事を用ゐ、高陵・涇陽之を佐け、卒に秦王無し。此れ亦た淖齒・李兌の類のみ。臣今王の廟朝に獨立するを見る。且つ臣將に後世秦國を有つ者、王の子孫に非ざるを恐れんとす。」秦王懼れ、是に於て乃ち太后を廢し、穰侯を逐ひ、高陵を出だし、涇陽を關外に走らしむ。昭王范睢に謂ひて曰く、「昔者、齊公管仲を得て、時に以て仲父と爲す。今吾子を得て、亦た以て父と爲さん。」
-
史記 范雎蔡沢列伝范睢日に益々親しまる。因りて間を請ひて説きて曰く、「臣山東に居る時、秦に太后・穰侯・華陽・高陵・涇陽有るを聞き、其の王有るを聞かざるなり。夫れ国を擅にするを之れ王と謂ひ、能く利害するを之れ王と謂ひ、殺生の威を制するを之れ王と謂ふ。今太后擅行して顧みず、穰侯出使して報ぜず、華陽・涇陽ら撃断して諱む無く、高陵進退して請はず。四貴備はりて国危からざる者は、未だ之れ有らざるなり。此の四貴の下と為るは、乃ち所謂王無きなり。然らば則ち権安ぞ傾かざるを得ん、令安ぞ王より出づるを得んや」と。昭王之を聞きて大いに懼れ、是に於いて太后を廃し、穰侯・高陵・華陽・涇陽君を関外に逐ふ。秦王乃ち范睢を拝して相と為す。
-
史記 范雎蔡沢列伝范睢秦の昭王に説きて曰く、「夫れ穰侯韓魏を越えて斉の綱・壽を攻むるは、計に非ざるなり。昔斉の湣王南のかた楚を攻め、軍を破り将を殺し、再び地を辟くこと千里なるも、斉尺寸の地も得る無き者は、形勢有る能はざればなり。斉を攻めて大破せらるる所以は、其の楚を伐ちて韓魏を肥やすを以てなり、此れ所謂賊に兵を借し盗に糧を齎すなり。王遠く交はりて近きを攻むるに如かず、寸を得れば則ち王の寸なり、尺を得れば亦た王の尺なり。今此を釈てて遠く攻むるは、亦た繆らずや。王霸たらんと欲せば、必ず中国に親しみて以て天下の枢と為し、以て楚趙を威せ。斉懼れ、必ず卑辞重幣以て秦に事へん。斉附きて韓魏因りて虜とす可きなり」と。昭王曰く、「善し」と。乃ち范睢を拝して客卿と為し、兵事を謀らしむ。
-
戦国策・為齊獻書趙王斉の為に書を趙王に献ず。臣をして復丑と与に曰わしむ、「臣一たび見えて、能く王をして坐しながら天下をして名宝を致さしむ。而るに臣竊かに王の試みに臣を見えずして、臣を窮せしむるを怪しむ。群臣必ず多く臣を以て能わずと為す、故に王重ねて臣に見えず。臣を以て能わずと為す者は他に非ず、王の兵を用いて其の私を成さんと欲する者なり。然らずんば、則ち交わり偏する所有る者なり。然らずんば、則ち知足らざる者なり。然らずんば、則ち天下の重きを以て王を恐れしめて、王に行を取らんと欲する者なり。臣は斉を以て王に循事すれば、王は能く燕を亡ぼし、能く韓・魏を亡ぼし、能く秦を攻め、能く秦を孤にせしむ。臣以為えらく、斉、尊名を王に致さば、天下孰か敢えて尊名を王に致さざらんや。臣、斉を以て地を王に致さば、天下孰か敢えて地を王に致さざらんや。臣、斉の為に王の名を燕及び韓・魏に求めば、孰か敢えて之を辞せんや。臣の能や、其の前すでに見るべし。斉先ず王を重んず、故に天下尽く王を重んず。斉無くば、天下必ず尽く王を軽んぜん。秦の彊きも、斉無きの故を以て王を重んじ、燕・魏も自ら斉無きを以ての故に王を重んず。今王斉無くんば、独り安んぞ天下に重んぜられざるを得んや。故に王に斉無からしめんと勧むる者は、知足らざるに非ざれば、則ち不忠なる者なり。然らずんば、則ち王の兵を用いて其の私を成さんと欲する者なり。然らずんば、則ち天下の重きを以て王を軽んじ、王に行を取らんと欲する者なり。然らずんば、則ち位尊くして能く卑しき者なり。願わくは王の斉無きの利害を熟慮せんことを。」
-
戦国策・蘇秦謂燕昭王蘇秦燕の昭王に謂いて曰く、「今此に人有り、孝は曾參・孝己の如く、信は尾生高の如く、廉は鮑焦・史鰌の如く、此の三行を兼ねて以て王に事えば、奚如」と。王曰く、「是くの如くんば足れり」と。對えて曰く、「足下以て足れりと為さば、則ち臣足下に事えざらん。臣且に無為の事に處り、歸りて周の上埊に耕さんとす、耕して之を食い、織りて之を衣ん」と。王曰く、「何の故ぞや」と。對えて曰く、「孝は曾參・孝己の如くんば、則ち其の親を養うに過ぎず。信は尾生高の如くんば、則ち人を欺かざるに過ぎず。廉は鮑焦・史鰌の如くんば、則ち人の財を竊まざるに過ぎず。今臣は進取を為す者なり。臣以為えらく廉は身と俱に達せず、義は生と俱に立たず。仁義なる者は、自ら完うするの道にして、進取の術に非ざるなり」と。王曰く、「自ら憂うるを以て足らざるか」と。對えて曰く、「自ら憂うるを以て足れりと為さば、則ち秦は殽塞を出でず、齊は營丘を出でず、楚は疏章を出でず。三王代りて位し、五伯政を改むるは、皆自ら憂えざるを以ての故なり。若し自ら憂いて足れりとせば、則ち臣も亦周に負籠せんのみ、何為れぞ大王の廷を煩わさんや。昔者楚は章武を取り、諸侯北面して朝す。秦は西山を取り、諸侯西面して朝す。曩者燕をして周室の上を去らしめざりせば、則ち諸侯馬を別にして朝せざらんとす。臣之を聞く、善く事を為す者は、先ず其の國の大小を量り、其の兵の強弱を揆る、故に功成るべく、名立つべし。事を為す能わざる者は、先ず其の國の大小を量らず、其の兵の強弱を揆らず、故に功成るべからず、名立つべからず。今王東嚮して齊を伐つの心有り、而して愚臣之を知る」と。王曰く、「子何を以て之を知るや」と。對えて曰く、「戟を矜り劍を砥ぎ、丘に登り東嚮して歎ずるは、是を以て愚臣之を知る。今夫れ烏獲千鈞の重きを舉ぐるも、行年八十にして、扶持を求む。故に齊強國なりと雖も、西のかた宋に勞し、南のかた楚に罷れば、則ち齊軍敗るべく、河間取るべし」と。燕王曰く、「善し。吾請う子を拜して上卿と為し、子に車百乘を奉ぜん、子此を以て寡人の為に東のかた齊に游ばば、何如」と。對えて曰く、「足下之を愛するを以ての故に與うるならば、則ち何ぞ愛子と諸舅・叔父・負床の孫に與えずして、得ずして乃ち無能の臣に與うるや、何ぞや。王の臣を論ずること、何如なる人ぞや。今臣の足下に事うる所以は、忠信なり。忠信の故を以て、左右に罪を見んことを恐る」と。王曰く、「安んぞ人臣為りて其の力を盡くし、其の能を竭くして、罪を得る者有らんや」と。對えて曰く、「臣請う王の為に譬えん。昔周の上埊嘗て之有り。其の丈夫官して三年歸らず、其の妻人を愛す。其の愛する所の者曰く、『子の丈夫來たらば、則ち且に柰何せんとするか』と。其の妻曰く、『憂うる勿かれ、吾已に藥酒を為りて以て其の來たるを待つ』と。已にして其の丈夫果たして來たる、是に於て其の妾をして藥酒を酌みて之を進めしむ。其の妾之を知り、半道にして立つ。慮りて曰く、『吾此を以て吾が主父に飲ましめば、則ち吾が主父を殺し、此を以て吾が主父に告げば、則ち吾が主母を逐わる。吾が父を殺し、吾が主母を逐う者と、寧ろ佯りて躓きて之を覆さん』と。是に於て佯り僵れて之を仆す。其の妻曰く、『子の遠行の為に來たるを、故に美酒を為り、今妾奉じて之を仆す』と。其の丈夫知らず、其の妾を縛りて之を笞つ。故に妾の笞たるる所以は、忠信なればなり。今臣足下の為に齊に使いするに、恐らくは忠信左右に諭らざらんことを。臣之を聞く、萬乘の主は、人臣に制せられず。十乘の家は、眾人に制せられず。疋夫徒步の士は、妻妾に制せられず。而るを又況んや當世の賢主をや。臣請う行かん、願わくは足下の群臣に制せられざらんことを」と。
-
『新序』雜事第三夫の秦は商鞅の法を用い、東のかた韓・魏を弱くし、立ちどころに天下に強し。而して卒に商君を車裂きにす。越は大夫種の謀を用い、勁吳を擒にし、中國に霸たり。卒に其の身を誅す。是を以て孫叔敖は三たび相を去りて悔いず。於陵仲子は三公を辭して、人の爲に園に灌ぐ。今世主誠に能く驕傲の心を去り、報ゆ可きの意を懷き、心腹を披き、情素を見わし、肝膽を隳し、德厚を施し、終に之と窮通し、士に變ずる無くんば、則ち桀の狗も、堯に吠えしむ可く、跖の客も、由を刺さしむ可し。况んや萬乘の權に因り、聖王の資を假るをや。然れば則ち荊軻の七族を沉め、要離の妻子を燔くも、豈に大王の爲に道うに足らんや。明月の珠、夜光の璧も、以て闇に人に道路に投ぜば、衆劍を按じて相い眄せざる無し。何となれば則ち、因りて前に至る無ければなり。蟠木の根抵輪囷離奇にして、萬乘の器と爲るは、左右先ず之が爲に容るればなり。故に因る無くして前に至らば、隨侯の珠、夜光の璧を出だすと雖も、秪だ怨みを結ぶに足りて德とせられず。故に人の先に游ぶ有らば、則ち枯木朽株を以てするも、功を樹てて忘れられず。今天下の布衣窮居の士をして、堯舜の術を蒙り、伊・管の辯を挾むと雖も、素より根柢の容無くして、精神を竭くし、忠信を開きて、人主の治を輔けんと欲せしめば、則ち人主必ず劍を按じ相い眄するの迹を襲わん。是れ布衣をして枯木朽株の資に當たるを得ざらしむるなり。