斉家論 / 序
子曰、予欲無言、天何言哉、四時行れ、百物生る、天何言哉、聖人さへかくの玉ふ、況余ごとき娑婆ふさげ、言句を吐こそおかしけれ、不肖のものは、四十にたらで死むこそ、めやすかるべけれと、徒然草に譏れしが、死なぬ命は是非もなし、門弟より養ひを受、腹ふくらし、ねてもゐられず、腹すかしのため、同志の人の齊家便りともならんかと、いやしき儉約ごとを書散すは、すきに赤ゑぼしといふものか、延享甲子のとし五月上旬、石田勘平自序、
新字:子曰、予欲無言、天何言哉、四時行れ、百物生る、天何言哉、聖人さへかくの玉ふ、況余ごとき娑婆ふさげ、言句を吐こそおかしけれ、不肖のものは、四十にたらで死むこそ、めやすかるべけれと、徒然草に譏れしが、死なぬ命は是非もなし、門弟より養ひを受、腹ふくらし、ねてもゐられず、腹すかしのため、同志の人の斉家便りともならんかと、いやしき倹約ごとを書散すは、すきに赤ゑぼしといふものか、延享甲子のとし五月上旬、石田勘平自序、
書き下し
子曰く、予言ふこと無からんと欲す。天何をか言ふや、四時行はれ、百物生る。天何をか言ふやと。聖人さへかくの玉ふ。況んや余ごとき娑婆ふさげ、言句を吐くこそおかしけれ。不肖のものは、四十にたらで死なむこそ、めやすかるべけれと、徒然草に譏られしが、死なぬ命は是非もなし。門弟より養ひを受け、腹ふくらし、ねてもゐられず、腹すかしのため、同志の人の斉家の便りともならんかと、いやしき倹約ごとを書き散らすは、すきに赤ゑぼしといふものか。延享甲子のとし五月上旬、石田勘平自序。
現代語訳
孔子は「私はもう何も言うまいと思う。天は何かを言うだろうか。四季はめぐり、万物は生まれ育つ。天は何も言わないではないか」とおっしゃいました。聖人でさえこのように言われるのに、ましてや私のような世の厄介者が言葉を吐くのはおかしなことです。徒然草には、愚かな者は四十にならないうちに死ぬのが見苦しくなくてよい、とそしられていますが、死なない命はどうしようもありません。門弟に養ってもらって腹はふくれ、寝てもいられないので、腹ごなしのために、同志の人が家を斉える頼りにでもなればと、つまらない倹約のことを書き散らすのは、「好きの赤烏帽子」というものでしょうか。延享元年五月上旬、石田勘平(梅岩)自序。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『十善法語』巻第五・不綺語戒執政大臣ノ楽ハ。上一人ヲ輔ケテ自ラ専ニセヌ。中百官ヲ率テ心常ニ謙遜ス。下万民ヲ保ンシテ共ニ太平ヲ楽ム。此位ハ人臣ノ極リ。此威勢ハ大君ニ等シ。一タヒ回顧スレハ万国色ヲ変ス。一タヒ言ヘハ率土奉行スル。徳海内ニ加ツテ自ラ其功ニ居ラス。恩禽獣ニ及ンテ其能ニホコラス。余ハ大君ノ楽ニ同スルシヤ。其楽糸竹管絃ノ及フ所ナラス。マシテ狂言綺語酒宴遊興ニ比スヘキコトテハナキシヤ。総シテ上ニ命ヲ受ル所アルヲ一ノ楽トス。天命ニ順スルシヤ。下ニ恵ム民有ヲ一ノ楽トス。人道行ハルルシヤ。天命ニ順スル故家門永ク其福ヲ受ク。人道ヲ行フ故子孫常ニ賢才徳者ヲ得ト云コトシヤ。
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『呻吟語』内篇・修身・損ずるは甚の體ぞ今人苦だ謙るを肯んぜず。只だ架子を拿へ得て定まり、以て體を存すと為す。夫子子張に政に從ふを告ぐるに、小大と無く眾寡と無く敢へて慢る無きを以て驕らずと為す。而して周公相と為りて、吐握して白屋に下ること甚だし。父師有道の君、知らず甚の體をか損ぜしや。若し名分の在る所ならば、自ら是れ貶損し得ず。
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『呻吟語』内篇・修身・謙も禮に中らざれば損する所亦た多し或るひと問ふ、「傲は凶德と為らば、則ち謙は吉德なるか」と。曰く、「謙は真に是れ吉なり。然れども謙も禮に中らざれば、損する所亦た多し」と。上に在る者非禮の謙を為さば、則ち名份を亂し紀網を紊し、久しければ法令行はれず。下に在る者非禮の謙を為さば、則ち賤辱を取り氣節を喪ひ、久しければ廉恥地を掃ふ。君子の人に接するは未だ嘗て謹飭ならずんばあらず、身を持するは未だ嘗て正大ならずんばあらず。孔子曰く、「恭にして禮無ければ則ち勞す」と。又た曰く、「巧言令色足恭は、某も亦た之を恥づ」と。
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『夜船閑話』本文少焉、幽眼を開いて熟々視て、徐々として告げて曰く、我は是山中半死の陳人、櫨栗を拾ひ食ひ、麋鹿に伴つて睡る。此外更に何をか知らんや。自ら愧づ、遠く上人の来望を労することを、予即ち転々咨叩して休まず。
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『呻吟語』内篇・存心・自家の好き處は幾分を掩藏す自家の好き處は幾分を掩藏す、這れ是れ涵蓄して以て深きを養ふなり。別人の好からざる處は幾分を掩藏せんことを要す、這れ是れ渾厚にして以て大なるを養ふなり。
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」