呂氏春秋 / 審分⑥
今有人於此,求牛則名馬,求馬則名牛,所求必不得矣;而因用威怒,有司必誹怨矣,牛馬必擾亂矣。百官,眾有司也;萬物,群牛馬也。不正其名,不分其職,而數用刑罰,亂莫大焉。夫說以智通,而實以過悗;譽以高賢,而充以卑下;贊以潔白,而隨以汙德;任以公法,而處以貪枉;用以勇敢,而堙以罷怯;此五者,皆以牛為馬,以馬為牛,名不正也。故名不正,則人主憂勞勤苦,而官職煩亂悖逆矣。國之亡也,名之傷也,從此生矣。白之顧益黑、求之愈不得者,其此義邪!故至治之務,在於正名。名正則人主不憂勞矣。不憂勞則不傷其耳目之主。問而不詔,知而不為,和而不矜,成而不處。止者不行,行者不止,因形而任之,不制於物,無用為使,清靜以公,神通乎六合,德耀乎海外,意觀乎無窮,譽流乎無止,此之謂定性於大湫,命之曰無有。故得道忘人,乃大得人也,夫其非道也;知德忘知,乃大得知也,夫其非德也;至知不幾,靜乃明幾也,夫其不明也;大明不小事,假乃理事也,夫其不假也;莫人不能,全乃備能也,夫其不全也。是故於全乎去能,於假乎去事,於知乎去幾,所知者妙矣。若此則能順其天,意氣得游乎寂寞之宇矣,形性得安乎自然之所矣。全乎萬物而不宰,澤被天下而莫知其所自姓,雖不備五者,其好之者是也。
新字:今有人於此,求牛則名馬,求馬則名牛,所求必不得矣;而因用威怒,有司必誹怨矣,牛馬必擾乱矣。百官,衆有司也;万物,群牛馬也。不正其名,不分其職,而数用刑罰,乱莫大焉。夫説以智通,而実以過悗;誉以高賢,而充以卑下;賛以潔白,而随以汚徳;任以公法,而処以貪枉;用以勇敢,而堙以罷怯;此五者,皆以牛為馬,以馬為牛,名不正也。故名不正,則人主憂労勤苦,而官職煩乱悖逆矣。国之亡也,名之傷也,従此生矣。白之顧益黒、求之愈不得者,其此義邪!故至治之務,在於正名。名正則人主不憂労矣。不憂労則不傷其耳目之主。問而不詔,知而不為,和而不矜,成而不処。止者不行,行者不止,因形而任之,不制於物,無用為使,清静以公,神通乎六合,徳耀乎海外,意観乎無窮,誉流乎無止,此之謂定性於大湫,命之曰無有。故得道忘人,乃大得人也,夫其非道也;知徳忘知,乃大得知也,夫其非徳也;至知不幾,静乃明幾也,夫其不明也;大明不小事,仮乃理事也,夫其不仮也;莫人不能,全乃備能也,夫其不全也。是故於全乎去能,於仮乎去事,於知乎去幾,所知者妙矣。若此則能順其天,意気得游乎寂寞之宇矣,形性得安乎自然之所矣。全乎万物而不宰,沢被天下而莫知其所自姓,雖不備五者,其好之者是也。
書き下し
今、此に人有り、牛を求むるに則ち馬と名び、馬を求むるに則ち牛と名べば、求むる所必ず得ず。而るに因りて威怒を用うれば、有司必ず誹怨し、牛馬必ず擾亂す。百官は、衆有司なり。萬物は、群牛馬なり。其の名を正さず、其の職を分かたずして、數々刑罰を用うれば、亂焉より大なるは莫し。夫れ說くに智通を以てして實たすに遇悗を以てし、譽むるに高賢を以てして充つるに卑下を以てし、贊するに潔白を以てして隨うに汙德を以てし、任ずんるに公法を以てして處るに貪枉を以てし、用うるに勇敢を以てして堙つるに罷怯を以てす。此の五者は、皆牛を以て馬と為し、馬を以て牛と為す、名正しからざるなり。故に名正しからざれば、則ち人主、憂勞勤苦して、官職、煩亂悖逆す。國の亡ぶるや、名の傷わるるや、此れ從り生ず。之を白くせんとして顧って黑を益し、之を求めんとして愈々得ざるは、其れ此の義か。故に至治の務は、名を正すに在り。名正しければ則ち人主、憂勞せず。憂勞せざれば則ち其の耳目の主を傷わず。問いて詔げず、知りて為さず、和して矜らず、成して處らず。止まる者は行らしめず、行る者は止めず、形に因りて之に任ず。物に制せられず、肯て使と為ること無く、清靜にして以て公、神は六合に通じ、德は海外に耀き、意は無窮に觀れ、譽は無止に流る。此を之れ性を大湫に定むと謂う。之を命づけて無有と曰う。故に路を得て人を忘るれば、乃ち大いに人を得るなり、夫れ其れ道とするに非ずや。德を知り知を忘るれば、乃ち大いに知を得るなり。夫れ其れ德とするに非ずや。至知は幾せず、靜なれば乃ち幾を明らかにするなり。夫れ其れ明ならずや。大明は小事せず。假なれば乃ち事を理むるなり。夫れ其れ假ならずや。莫人は能くせず、全ければ乃ち能を備うるなり。夫れ其れ全からずや。是の故に全に於いては能を去り、假に於いては事を去り、知に於いては幾を去れば、知る所の者は妙たり。此くの若くなれば、則ち能く其の天に順い、意氣は寂寞の宇に游ぶことを得、形性は自然の所に安んずることを得。萬物を全くして宰せず、澤は天下を被いて、其の自りて始まる所を知ること莫し。五者を備えずと雖も、其の之を好む者は是なり。
現代語訳
今ここに人がいて、牛を求めるのに馬と呼び、馬を求めるのに牛と呼べば、求めるものは決して得られない。それでいて怒りにまかせて威圧すれば、役人は必ず怨み、牛馬すなわち物事は必ず乱れる。多くの役人は多くの担当者であり、万物は群れなす牛馬である。その名を正さず、その職を分けずに、しきりに刑罰ばかり用いれば、これほど大きな乱れはない。そもそも、知に通じると称して実は愚かで惑い、高潔で賢いと誉めて実は卑しく、清白だと讃えて実は汚れた徳を伴わせ、公正な法で任じながら実は貪欲でよこしまなところに置き、勇敢だと用いながら実は臆病でふさぐ——この五つはみな牛を馬とし馬を牛とするもので、名が正しくないのである。だから名が正しくなければ、君主は憂え苦労し、官職は乱れそむく。国が滅び名が損なわれるのは、ここから生じる。白くしようとしてかえって黒を増し、求めるほど得られないとは、まさにこのことであろう。ゆえに至上の政治の務めは名を正すことにある。名が正しければ君主は憂え苦労せず、憂え苦労しなければその心の本性を損なわない。問うても命令せず、知っても手を出さず、和しても誇らず、成しても居座らない。止まる者は無理に行かせず、行く者は止めず、実績に応じて任せ、物に振り回されず、あえて使役の道具とならず、清らかに静かにして公平であれば、その精神は天地四方に通じ、徳は海の外まで輝き、思いは無窮を見渡し、名声は果てなく流れる。これを大いなる淵に本性を落ち着けるといい、名づけて無有という。道を体得して人為を忘れれば、かえって大いに人を得る。それが道たるゆえんではないか。徳を知って知をあえて忘れれば、かえって大いに知を得る。それが徳たるゆえんではないか。至高の知はこざかしく詮索せず、静かであってこそ機微を明らかにする。大いなる明知は小事にこだわらず、大局に立ってこそ事を処理できる。すぐれた人はあえて何でもこなそうとせず、全きに立ってこそ能を備える。だから全きにおいては能をすて、大においては小事をすて、知においては詮索をすてれば、知るところは玄妙となる。このようであれば天に順い、意気は寂寞の境に遊び、本性は自然のままに安らぐ。万物を全うさせながら支配せず、恵みは天下を覆いながら、それがどこから起こるかを誰も知らない。この五つを備えずとも、それを好む者こそ正しいのである。
解説
この章句が説くこと
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