呂氏春秋 / 審分②
凡為善難,任善易。奚以知之?人與驥俱走,則人不勝驥矣;居於車上而任驥,則驥不勝人矣。人主好治人官之事,則是與驥俱走也,必多所不及矣。夫人主亦有居車,無去車,則眾善皆盡力竭能矣,諂諛詖賊巧佞之人無所竄其姦矣,堅窮廉直忠敦之士畢競勸騁騖矣。
新字:凡為善難,任善易。奚以知之?人与驥倶走,則人不勝驥矣;居於車上而任驥,則驥不勝人矣。人主好治人官之事,則是与驥倶走也,必多所不及矣。夫人主亦有居車,無去車,則眾善皆尽力竭能矣,諂諛詖賊巧佞之人無所竄其姦矣,堅窮廉直忠敦之士畢競勧騁騖矣。
書き下し
凡そ善を為すは難く、善に任ずるは易し。奚を以て之を知る。人、驥と俱に走れば、則ち人、驥に勝たず、車上に居りて驥に任ずれば、則ち驥、人に勝たず。人主の好みて人官の事を治むるは、則ち是れ驥と俱に走るなり。必ず及ばざる所多し。夫れ人主も亦た車有り、車を去ること無ければ、則ち衆善く皆力を盡くし能を竭くし、諂諛詖賊巧佞の人、其の姦を竄す所無く、堅窮廉直忠敦の士、畢く競勸騁騖す。
現代語訳
自分で善事を成し遂げるのは難しく、善き人材に任せるのは易しい。なぜそう言えるか。人が名馬と競走すれば人は名馬に勝てないが、車の上に乗って名馬に引かせれば名馬は人にかなわない。君主が自ら役人の職務を好んで処理するのは、名馬と競走するようなもので、力の及ばぬことが多い。君主にもまた乗るべき車がある。その車を手放さなければ、多くの有能な臣が皆その力と才を出し尽くし、へつらいや悪賢い者は不正を隠す場を失い、剛直で清廉・忠実篤実の士がこぞって競い励むようになる。
解説
ここでは君主が自分で走るのではなく車に乗るべきことを、名馬と人の競走の比喩で説きます。君主が実務を抱え込めば、いかに有能でも専門の臣には及ばず、かえって全体が回らなくなります。臣という車に任せて自らはそれを御することに徹すれば、有能な人材は力を出し切り、へつらう小人は不正を隠せず、剛直な士が奮い立ちます。これは君主無為・臣下有為という統治観を人材活用の面から述べたもので、リーダーが自ら手を動かすより、適材に委ね仕組みで動かすほうが成果が上がるという、現代の権限委譲・分業論にも重なります。
この章句が説くこと
任善無為権限委譲驥と車人材活用分業
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