呂氏春秋 / 下賢⑤
子產相鄭,往見壺丘子林,與其弟子坐必以年,是倚其相於門也。夫相萬乘之國而能遺之,謀志論行,而以心與人相索,其唯子產乎?故相鄭十八年,刑三人,殺二人,桃李之垂於行者莫之援也,錐刀之遺於道者莫之舉也。
新字:子産相鄭,往見壺丘子林,与其弟子坐必以年,是倚其相於門也。夫相万乗之国而能遺之,謀志論行,而以心与人相索,其唯子産乎?故相鄭十八年,刑三人,殺二人,桃李之垂於行者莫之援也,錐刀之遺於道者莫之舉也。
書き下し
子産、鄭に相たるや、往きて壺丘子林を見る。其の弟子と坐するに必ず年を以てす。是れ其の相を門に倚くなり。夫れ萬乘の國に相として能く之を遺き、志を謀り行いを論じ、而して心を以て人と相索むるは、其れ唯だ子産のみか。故に鄭に相たること十八年、三人を刑し、二人を殺すのみ。桃李の行に垂るる者も、之を援くもの莫く、錐刀の道に遺ちたる者も、之を舉ぐるもの莫きなり。
現代語訳
子産は鄭の宰相でありながら、壺丘子林を訪ねて教えを受けた。その門弟たちと同席するときは必ず年齢の順に座り、宰相という身分を門の外に置いてきた。万乗の大国の宰相でありながら、その地位をわきに置き、志を語り行いを論じ、真心をもって人と交わり合えたのは、まさに子産だけであろう。だから鄭の宰相を十八年務めても、刑に処したのは三人、死刑にしたのはわずか二人だけであった。道ばたの桃や李が実を垂らしても勝手に取る者はなく、小刀が道に落ちていても拾って我が物にする者はいなかった。
解説
鄭の名宰相子産が、学問の師のもとでは宰相の地位を捨て、門弟と年齢順に同席したという説話です。要点は、大国の宰相という身分を「門に置いて」謙虚に学び、真心で人と交わったことが、善政の土台になったという点にあります。その治世は十八年で刑罰も殺人も極めて少なく、道の果実や落し物にも手をつけない社会秩序が実現しました。地位や権威を状況に応じて脇に置き、へりくだって学ぶ姿勢が、結果として組織や社会の秩序と信頼を生むという教えは、権限を持つ立場の現代のリーダーにも示唆に富みます。
この章句が説くこと
下賢子産鄭壺丘子林謙虚善政
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