呂氏春秋 / 下賢②
堯不以帝見善綣,北面而問焉。堯,天子也;善綣,布衣也。何故禮之若此其甚也?善綣得道之士也,得道之人,不可驕也。堯論其德行達智而弗若,故北面而問焉,此之謂至公。非至公其孰能禮賢?
新字:堯不以帝見善綣,北面而問焉。堯,天子也;善綣,布衣也。何故礼之若此其甚也?善綣得道之士也,得道之人,不可驕也。堯論其徳行達智而弗若,故北面而問焉,此之謂至公。非至公其孰能礼賢?
書き下し
堯は帝を以て善綣を見ず、北面して焉に問う。堯は天子なり。善綣は布衣なり。何の故にか之を禮すること此くの若く其れ甚だしきや。善綣は道を得るの士なればなり。道を得るの人には、驕る可からざるなり。堯、其の德行達智を論じて若かずとす。故に北面して焉に問う。此を之れ至公と謂う。至公に非ずんば、其れ孰か能く賢を禮せんや。
現代語訳
堯は天子としての立場で善綣に会うことをせず、臣下の位置である北向きに座って教えを乞うた。堯は天子であり、善綣は一介の庶民である。それなのになぜこれほど手厚く礼を尽くしたのか。善綣が道を体得した士だったからである。道を得た人には、傲慢に構えてはならない。堯は自分の徳行や見識を善綣に及ばないと見なし、だから北面して教えを問うたのである。これを至公という。この上ない公平さがなければ、いったい誰が賢者に礼を尽くせようか。
解説
聖天子とされる堯が、庶民の善綣に対して臣下の礼をとって教えを乞うたという説話です。要点は、堯が自分の徳や知恵を賢者に及ばないと認め、天子の権威を捨てて北面したという謙虚さにあります。編者はこの姿勢を「至公」、すなわちこの上ない公平さと呼び、これがなければ誰も賢者を礼遇できないと述べます。相手が無位無官でも、その道や見識に対して立場を越えて敬意を払う態度は、序列や肩書きにとらわれず優れた人材や知見を尊重すべきだという、現代の組織運営や学びの姿勢にも通じます。
この章句が説くこと
下賢堯善綣北面至公謙虚
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