呂氏春秋 / 遇合④
陳有惡人焉,曰敦洽讎糜,雄顙廣顏,色如浹赬,垂眼臨鼻,長肘而盭。陳侯見而甚說之,外使治其國,內使制其身。楚合諸侯,陳侯病不能往,使敦洽讎糜往謝焉。楚王怪其名而先見之。客有進狀有惡其名言有惡狀,楚王怒,合大夫而告之,曰:“陳侯不知其不可使,是不知也;知而使之,是侮也;侮且不智,不可不攻也。”興師伐陳,三月然後喪。惡足以駭人,言足以喪國,而友之足於陳侯而無上也,至於亡而友不衰。夫不宜遇而遇者則必廢,宜遇而不遇者,此國之所以亂,世之所以衰也。天下之民,其苦愁勞務從此生。凡舉人之本,太上以志,其次以事,其次以功。三者弗能,國必殘亡,群孽大至,身必死殃,年得至七十、九十猶尚幸。賢聖之後,反而孽民,是以賊其身,豈能獨哉?
新字:陳有悪人焉,曰敦洽讎糜,雄顙広顏,色如浹赬,垂眼臨鼻,長肘而盭。陳侯見而甚説之,外使治其国,内使制其身。楚合諸侯,陳侯病不能往,使敦洽讎糜往謝焉。楚王怪其名而先見之。客有進状有悪其名言有悪状,楚王怒,合大夫而告之,曰:“陳侯不知其不可使,是不知也;知而使之,是侮也;侮且不智,不可不攻也。”興師伐陳,三月然後喪。悪足以駭人,言足以喪国,而友之足於陳侯而無上也,至於亡而友不衰。夫不宜遇而遇者則必廃,宜遇而不遇者,此国之所以乱,世之所以衰也。天下之民,其苦愁労務従此生。凡舉人之本,太上以志,其次以事,其次以功。三者弗能,国必残亡,群孽大至,身必死殃,年得至七十、九十猶尚幸。賢聖之後,反而孽民,是以賊其身,豈能独哉?
書き下し
陳に惡人有り。敦洽讎糜と曰う。椎顙廣顏、色は漆赭の如く、垂眼鼻に臨み、長肘にして戻なり。陳侯見て甚だ之を説び、外には其の國を治めしめ、內には其の身を制せしむ。楚、諸侯を合わすに、陳侯病みて往くこと能わず。敦洽讎糜をして往きて謝せしむ。楚王其の名を怪しみて先づ之を見る。客進むに、状有た其の名を惡しくし、言有た其の状を惡しくす。楚王怒り、大夫を合めて之に告げて曰く、「陳侯は其の使いせしむ可からざるを知らざれば、是れ不知なり。知りて之を使いせしめば、是れ侮るなり。侮り且つ不智ならば、攻めざる可からざるなり。」師を興し陳を伐つ。三月にして然る後喪ぶ。惡は以て人を駭かすに足り、言は以て國を喪ぼすに足る。而も之を友とすること、陳侯に足りて上無きなり。亡ぶるに至りて、而も友とすること衰えず。夫れ宜しく遇すべからずして遇すれば、則ち必ず廢せられ、宜しく遇すべくして遇せざれば、則ち必ず亡ぶ。此れ國の亂るる所以にして、世の衰うる所以なり。天下の民の、其の苦愁勞務は此れ從り生ず。凡そ人を舉ぐるの本は、太上は志を以てし、其の次は事を以てし、其の次は功を以てす。三者能わざれば、國必ず殘亡し、群孽大いに至り、身必ず死殃す。年七十・九十に至ることを得るものは、猶尚ほ幸いなり。賢聖の後、反って孽民あり。是を以て其の身を賊う。豈に能く獨りのみならんや。
現代語訳
陳に醜い人がいて、敦洽讎糜といった。額は槌のように突き出て顔は広く、肌の色は赤黒く、目は垂れて鼻にかぶさり、肘が長く曲がっていた。陳侯は彼を見て大いに気に入り、外では国政を任せ、内では自分の身の回りを取り仕切らせた。楚が諸侯を集めたとき、陳侯は病で行けず、敦洽讎糜を遣わして詫びさせた。楚王はその名を怪しんでまず彼に会った。会ってみると、姿はその名以上に醜く、言葉はその姿以上にひどかった。楚王は怒り、大夫を集めて告げた。「陳侯はこの者を使者にすべきでないと知らないなら無知だ。知って使わせたなら侮辱だ。侮辱でしかも無知なら、攻めないわけにはいかぬ。」軍を起こして陳を討ち、三か月で滅ぼした。醜さは人を驚かすに足り、言葉は国を滅ぼすに足りた。それでも陳侯が彼を友としたことはこの上なく、国が滅ぶに至っても友としてやまなかった。そもそも遇すべきでない者を遇すれば必ず失敗し、遇すべき者を遇さなければ必ず滅ぶ。これが国の乱れ、世の衰える原因である。天下の民の苦しみや労苦はここから生じる。およそ人を登用する根本は、最上は志で、次は事で、次は功で選ぶことだ。この三つができなければ、国は必ず滅び、災いが大いに至り、身は必ず災難で死ぬ。七十・九十まで生きられればまだ幸運だ。賢聖の子孫でありながらかえって民に災いをなす者があり、そのために身を滅ぼす。どうして自分一人のことで済もうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
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大学《秦誓》(しんせい)に曰く、「若(も)し一つの臣有らん。断断(だんだん)として他技無く、其の心休休焉(きゅうきゅうえん)として、其れ容るる有るが如し。人の技有るを、己之れ有るが如くし、人の彦聖(げんせい)なるを、其の心之を好むこと、啻(ただ)に其の口より出づるが如きのみならず。実に能く之を容(い)る。以て我が子孫黎民(れいみん)を保(やすん)ずべし、尚(な)お亦た利有らん哉(かな)。人の技有るを、媢嫉(ぼうしつ)して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之を違(さまた)げて通ぜざらしむ。実に容るる能わず。以て我が子孫黎民を保つ能わず、亦た殆(あやう)き哉」と。唯(ただ)仁人(じんじん)のみ之を放流(ほうりゅう)し、四夷に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じくせず。此れ唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むと謂う。賢を見て挙ぐる能わず、挙げて先んずる能わざるは、命(慢)なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは、過ちなり。人の悪む所を好み、人の好む所を悪む、是れ人の性を拂(もと)ると謂う。災い必ず夫(そ)の身に逮(およ)ばん。是の故に君子に大道有り、必ず忠信なるを以て之を得、驕泰(きょうたい)なるを以て之を失う。