呂氏春秋 / 義賞③
趙襄子出圍,賞有功者五人,高赦為首。張孟談曰:“晉陽之中,赦無大功,賞而為首何也?”襄子曰:“寡人之國危,社稷殆,身在憂約之中,與寡人交而不失君臣之禮者惟赦,吾是以先之。”仲尼聞之曰:“襄子可謂善賞矣。賞一人而天下之為人臣莫敢失禮。”為六軍則不可易。北取代,東迫齊。令張孟談踰城潛行,與魏桓、韓康期而擊智伯,斷其頭以為觴,遂定三家,豈非用賞罰當邪?
新字:趙襄子出囲,賞有功者五人,高赦為首。張孟談曰:“晉陽之中,赦無大功,賞而為首何也?”襄子曰:“寡人之国危,社稷殆,身在憂約之中,与寡人交而不失君臣之礼者惟赦,吾是以先之。”仲尼聞之曰:“襄子可謂善賞矣。賞一人而天下之為人臣莫敢失礼。”為六軍則不可易。北取代,東迫斉。令張孟談踰城潜行,与魏桓、韓康期而擊智伯,断其頭以為觴,遂定三家,豈非用賞罰当邪?
書き下し
趙襄子、圍を出で、功有りし者五人を賞す。高赦首為り。張孟談曰く、「晉陽の事、赦大功無し。賞するに首為るは何ぞや。」襄子曰く、「寡人の國危うく、社稷殆うく、身憂約の中に在りしとき、寡人と交わりて君臣の禮を失わざりし者は惟だ赦のみ、吾是を以て之を先にす。」仲尼之を聞きて曰く、「襄子は善く賞せりと謂う可し。一人を賞して、天下の人臣為るもの敢て禮を失うもの莫し。」六軍を為むるは則ち易んず可からず。北のかた代を取り、東のかた齊に迫り、張孟談をして城を踰えて潛行せしめ、魏桓・韓康と期して智伯を撃ち、其の頭を斷ちて以て觴と為し、遂に三家を定めたるは、豈に賞罰を用うることの當たれるに非ずや。
現代語訳
趙襄子が包囲を脱して、功のあった五人を賞したとき、高赦を筆頭にした。張孟談が言った。「晋陽の戦いで赦には大功がありません。賞して筆頭にするのはなぜですか。」襄子は言った。「私の国が危うく社稷が危機に瀕し、私自身が憂え苦しむ中にあったとき、私と交わって君臣の礼を失わなかったのは赦だけだ。だから彼を先にしたのだ。」孔子はこれを聞いて言った。「襄子はよく賞したと言える。一人を賞して、天下の臣たる者があえて礼を失わなくなる。」その後、六軍を治めて動かしがたい勢力となり、北は代を取り、東は斉に迫った。張孟談に城を越えて潜行させ、魏桓子・韓康子と示し合わせて智伯を討ち、その頭を漆で杯にし、ついに趙・韓・魏の三家を確立した。これはまさに賞罰の用い方が的確だったからではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・義賞①春氣至れば則ち草木産し、秋氣至れば則ち草木落つ。産と落とは之を使しむるもの或り。自ら然るに非ざるなり。故に之を使しむる者至れば、物為さざる無く、之を使しむる者至らざれば、物為す可き無し。古の人、其の使しむる所以を審らかにす、故に物、用を為さざる莫し。賞罰の柄、此れ上の使しむる所以なり。其の以て加うる所の者義なれば、則ち忠信親愛の道彰わる。久しく彰われて愈々長ずれば、民の之に安んずること性の若し。此を之れ教成ると謂う。教成れば則ち厚賞嚴威有りと雖も禁ずること能わず。故に善く教うる者は、義以て賞罰して教成り、教成りて賞罰禁ずること能わず。賞罰を用いて當らざるも亦た然り。姦偽賊亂貪戻の道興り、久しく興りて息まざれば、民の之を讎うること性の若し。戎夷胡貉巴越の民は、是を以て厚賞嚴罰有りと雖も、禁ずること能わず。郢人の兩版を以て垣するや、吳起之を變じて惡まる。賞罰易れば民安くんぞ樂しまん。氐羌の民、其れ虜となるや、其の係纍を憂えずして、其の死するに焚かれざるを憂うるは、皆、邪に成り、且つ成りて民を賊う。故に賞罰の加うる所は、慎まざる可からず。
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『韓非子』難一第三十六今赫は僅かに驕侮せざるのみにして、襄子之を賞するは、是れ賞を失うなり。明主は賞を無功に加えず、罰を無罪に加えず。
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孫子・行軍篇數々賞する者は、窘するなり。數々罰する者は、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり。来たりて委謝する者は、休息を欲するなり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五賞罰共にすれば則ち禁令行われず。何を以て之を明らかにせん。之を明らかにするに造父・於期を以てす。
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『韓非子』二柄第七明主の其の民を導制する所の者は、二柄のみ。二柄とは、刑・徳なり。
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呂氏春秋・當賞①民は道無くして天を知る。民は四時寒暑日月星辰の行を以て天を知る。四時寒暑日月星辰の行當たれば、則ち諸生の血氣有るの類、皆為に其の處を得て其の產に安んず。人臣も亦た道無くして主を知る。人臣は賞罰爵祿の加わる所を以て主を知る。主の賞罰爵祿の加わる所の者宜しければ、則ち親疏遠近賢不肖、皆其の力を盡くして、以て用を為す。