呂氏春秋 / 知士②
靜郭君善劑貌辨。劑貌辨之為人也多訾,門人弗說。士尉以証靜郭君,靜郭君弗聽,士尉辭而去。孟嘗君竊以諫靜郭君,靜郭君大怒曰:“(戔刀)而類!揆吾家,苟可以傔劑貌辨者,吾無辭為也。”於是舍之上舍,令長子御,朝暮進食。數年,威王薨,宣王立,靜郭君之交,大不善於宣王,辭而之薛,與劑貌辨俱。留無幾何,劑貌辨辭而行,請見宣王。靜郭君曰:“王之不說嬰也甚,公往,必得死焉。”劑貌辨曰:“固非求生也。”請必行,靜郭君不能止。劑貌辨行,至於齊,宣王聞之,藏怒以待之。劑貌辨見,宣王曰:“子靜郭君之所聽愛也?”劑貌辨答曰:“愛則有之,聽則無有。王方為太子之時,辨謂靜郭君曰:‘太子之不仁,過頤涿視,若是者倍反。不若革太子,更立衛姬嬰兒校師。’靜郭君泫而曰:‘不可,吾不忍為也。’且靜郭君聽辨而為之也,必無今日之患也,此為一也。至於薛,昭陽請以數倍之地易薛,辨又曰:‘必聽之。’靜郭君曰:‘受薛於先王,雖惡於後王,吾獨謂先王何乎?且先王之廟在薛,吾豈可以先王之廟予楚乎?’又不肯聽辨,此為二也。”宣王太息,動於顏色,曰:“靜郭君之於寡人一至此乎!寡人少,殊不知此。客肯為寡人少來靜郭君乎?”劑貌辨答曰:“敬諾。”靜郭君來,衣威王之服,冠其冠,帶其劍。宣王自迎靜郭君於於郊,望之而泣。靜郭君至,因請相之。靜郭君辭,不得已而受。十日,謝病,彊辭,三日而聽。當是時也,靜郭君可謂能自知人矣。能自知人,故非之弗為阻。此劑貌辨之所以外生樂、趨患難故也。
新字:静郭君善剤貌辨。剤貌辨之為人也多訾,門人弗説。士尉以証静郭君,静郭君弗聴,士尉辞而去。孟嘗君竊以諫静郭君,静郭君大怒曰:“(戔刀)而類!揆吾家,苟可以傔剤貌辨者,吾無辞為也。”於是舎之上舎,令長子御,朝暮進食。数年,威王薨,宣王立,静郭君之交,大不善於宣王,辞而之薛,与剤貌辨俱。留無幾何,剤貌辨辞而行,請見宣王。静郭君曰:“王之不説嬰也甚,公往,必得死焉。”剤貌辨曰:“固非求生也。”請必行,静郭君不能止。剤貌辨行,至於斉,宣王聞之,蔵怒以待之。剤貌辨見,宣王曰:“子静郭君之所聴愛也?”剤貌辨答曰:“愛則有之,聴則無有。王方為太子之時,辨謂静郭君曰:‘太子之不仁,過頤涿視,若是者倍反。不若革太子,更立衛姬嬰児校師。’静郭君泫而曰:‘不可,吾不忍為也。’且静郭君聴辨而為之也,必無今日之患也,此為一也。至於薛,昭陽請以数倍之地易薛,辨又曰:‘必聴之。’静郭君曰:‘受薛於先王,雖悪於後王,吾独謂先王何乎?且先王之廟在薛,吾豈可以先王之廟予楚乎?’又不肯聴辨,此為二也。”宣王太息,動於顏色,曰:“静郭君之於寡人一至此乎!寡人少,殊不知此。客肯為寡人少来静郭君乎?”剤貌辨答曰:“敬諾。”静郭君来,衣威王之服,冠其冠,帯其剣。宣王自迎静郭君於於郊,望之而泣。静郭君至,因請相之。静郭君辞,不得已而受。十日,謝病,彊辞,三日而聴。当是時也,静郭君可謂能自知人矣。能自知人,故非之弗為阻。此剤貌辨之所以外生楽、趨患難故也。
書き下し
靜郭君、劑貌辨に善し。劑貌辨の人と為りや、訾り多く、門人說ばず。士尉、以て靜郭君を証む。靜郭君聽かず。士尉辭して去る。孟嘗君竊に以て靜郭君を諫む。靜郭君大いに怒りて曰く、「而の類を剗ぼし、吾が家を揆るとも、苟しくも以て劑貌辨を傔らしむ可くんば、吾為すを辭すること無きなり。」是に於て之を上舎に舎し、長子をして御して、朝暮に食を進めしむ。數年にして、威王薨ず。宣王立つ。靜郭君の交わり、大いに宣王に善からず。辭して薛に之き、劑貌辨と俱にす。留ること幾何も無く、劑貌辨辭して行き、宣王に見えんことを請う。靜郭君曰く、「王の嬰を説ばざるや甚だし。公往かば、必ず死を得ん。」劑貌辨曰く、「固より生くるを求むるに非ざるなり。」必ず行かんことを請う。靜郭君、止むること能わず。劑貌辨行き、齊に至る。宣王之を聞き、怒りを藏して以て之を待つ。劑貌辨見ゆ。宣王曰く、「子は靜郭君の聽愛する所なるか。」劑貌辨答えて曰く、「愛は則ち之れ有るも、聽は則ち有ること無し。王方めて太子と為りし時、辨、靜郭君に謂いて曰く、『太子の仁ならざる、過頤涿視す。是の若き者は倍反せん。太子を革め、更めて衛姬の嬰兒校師を立つるに若かず。』靜郭君、泫きて曰く、『不可なり。吾為すに忍びざるなり。』且つ靜郭君、辨に聽きて之を為せば、必ず今日の患無きなり。此れ一と為す。薛に至り、昭陽、數倍の地を以て薛に易えんことを請う。辨又曰く、『必ず之を聽け。』靜郭君曰く、『薛を先王に受く、後王に惡まるると雖も、吾獨り先王に何とか謂わんや。且つ先王の廟は薛に在り。吾豈に先王の廟を以て楚に予う可けんや。』又肯て辨に聽かず。此れ二と為す。」宣王太息して顏色を動かして曰く、「靜郭君の寡人に於けるや、一に此に至れるか。寡人少くして、殊に此を知らず。客肯て寡人の為に少しく靜郭君を來たさんか。」劑貌辨答えて曰く、「敬んで諾す。」靜郭君來たる。威王の服を衣、其の冠を冠し、其の劍を帯ぶ。宣王自ら靜郭君を郊に迎え、之を望みて泣く。靜郭君至り、因りて之に相たらんことを請う。靜郭君辭すれども、已むを得ずして受く。十日にして、病と謝す。彊うれども辭す。三日にして聽さる。是の時に當たりて、靜郭君能く自ら人を知ると謂う可し。能く自ら人を知る、故に之を非れども阻を為さず。此れ劑貌辨の生を外にして、樂しみて患難に趨く所以の故なり。
現代語訳
靜郭君(田嬰)は劑貌辨と親しかった。劑貌辨の人となりは非難されるところが多く、靜郭君の門人たちは喜ばなかった。士尉はそのことで靜郭君を諫めたが、靜郭君は聞き入れず、士尉は辞去した。孟嘗君もひそかに靜郭君を諫めた。靜郭君は大いに怒って言った。「お前たちのような者を滅ぼし、我が家を破ってでも、いやしくも劑貌辨を満足させられるなら、私はどんなことでも辞さない」と。そこで劑貌辨を最上の客舎に住まわせ、長子に給仕させ、朝夕食事を進めさせた。数年して威王が薨去し、宣王が即位した。靜郭君は宣王とひどく折り合いが悪く、辞して薛に赴き、劑貌辨とともにした。しばらくして、劑貌辨は暇を告げて出発し、宣王に謁見を願い出た。靜郭君は言った。「王がこの嬰(私)を憎むことははなはだしい。あなたが行けば、必ず殺されるだろう」と。劑貌辨は言った。「もとより生きようとしているのではありません」と。どうしても行くと願い、靜郭君は止められなかった。劑貌辨は斉に至った。宣王はこれを聞き、怒りを内に秘めて彼を待った。劑貌辨が謁見すると、宣王は言った。「そなたは靜郭君が言うことを聞き寵愛した者か」と。劑貌辨は答えた。「寵愛はありましたが、言うことを聞いてはくれませんでした。王がはじめて太子であられた時、私は靜郭君に申しました。『太子は不仁の相があり、顎が大きすぎ、豚のように上目遣いで見ます。このような者は恩に背くでしょう。太子を廃し、改めて衛姫の子である嬰児・校師をお立てになるほうがよい』と。靜郭君は涙を流して言いました。『いけない。私にはそんなことはできない』と。もし靜郭君が私の言を聞いてそうしていれば、必ず今日のような憂いはなかったでしょう。これが一つ目です。薛に至ったとき、昭陽が数倍の土地と薛とを交換したいと願い出ました。私はまた申しました。『必ずお聞き入れなさい』と。靜郭君は言いました。『薛は先王から受けた地だ。後の王に憎まれようとも、私はどうして先王に申し訳が立とうか。まして先王の廟が薛にある。どうして先王の廟を楚に与えられようか』と。またも私の言を聞き入れませんでした。これが二つ目です」と。宣王は嘆息し、顔色を変えて言った。「靜郭君の私に対する真心はこれほどまでであったか。私は幼くて、まったくこれを知らなかった。客よ、私のためにしばらく靜郭君を招いてくれまいか」と。劑貌辨は答えた。「謹んでお引き受けします」と。靜郭君がやって来た。宣王は威王の衣を着せ、その冠をかぶせ、その剣を帯びさせた。宣王は自ら靜郭君を郊外に迎え、彼を望み見て泣いた。靜郭君が到着すると、そこで宰相になってほしいと願った。靜郭君は辞退したが、やむを得ず受けた。十日して病と称し、強く辞退し、三日してようやく許された。この時にあたって、靜郭君は自分で人を見抜くことができたと言ってよい。自ら人を見抜けたからこそ、人が非難しても妨げとはならなかった。これが、劑貌辨が自分の生命を度外視し、進んで危難に赴いた理由である。