呂氏春秋 / 季秋③
是月也,霜始降,則百工休。乃命有司曰:“寒氣總至,民力不堪,其皆入室。”上丁,入學習吹。
新字:是月也,霜始降,則百工休。乃命有司曰:“寒気総至,民力不堪,其皆入室。”上丁,入学習吹。
書き下し
是の月や、霜始めて降り、則ち百工休す。乃ち有司に命じて曰く、「寒氣總て至り、民力堪えず、其れ皆室に入れ。」上丁に、學に入り吹を習わしむ。
現代語訳
この月には霜が初めて降り、そうすると多くの職人は仕事を休む。そこで役人に命じて言う、「寒気がすっかり至り、民の力は堪えられない。みな部屋に入って休め」と。上旬の丁の日には、学校に入って笛の演奏を習わせる。
解説
初霜が降りる季秋の、労役と教育に関する時令です。要点は、寒さが厳しくなる時期には職人の労役を休ませ、民を屋内に入れて労を慰めるという配慮です。背景として、古代の農事暦では、屋外作業に適した季節が終わると人々を休ませ、あわせて礼楽の教育を行いました。丁の日に入学して吹奏を習うのは、音楽が礼と結びつき、人を教化する手段とされたからです。現代でも、季節や気候に応じて働き方を調整し、閑散期に人材育成や学びの時間を設けるという発想は、持続可能な組織運営に通じます。
この章句が説くこと
霜降百工上丁習吹礼楽労役
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