呂氏春秋 / 季春⑤
是月也,命野虞,無伐桑柘。鳴鳩拂其羽,戴任降于桑。具(挾)〔栚〕曲(蒙)〔𥴧〕筐,后妃齋戒,親東鄉躬桑,禁婦女無觀。省婦使,勸蠶事,蠶事既登,分繭稱絲效功,以共郊廟之服,無有敢墮。
新字:是月也,命野虞,無伐桑柘。鳴鳩払其羽,戴任降于桑。具(挟)〔栚〕曲(蒙)〔𥴧〕筐,后妃斎戒,親東鄉躬桑,禁婦女無観。省婦使,勧蠶事,蠶事既登,分繭称糸効功,以共郊廟之服,無有敢堕。
書き下し
是の月や、野虞に命じて、桑柘を伐ること無からしむ。鳴鳩、其の羽を拂い、戴任、桑に降るや、栚曲𥴧筐を具う。后妃、齋戒し、親ら東に嚮いて躬ら桑とる。婦女に禁じて觀無からしめ、婦使を省き、蠶事を勸む。蠶事既に登れば、繭を分かち絲を稱り功を效す。郊廟の服に共するを以て、敢て墮ること有ること無かれ。
現代語訳
この月、山林を司る野虞に命じて、蚕の餌になる桑や柘(やまぐわ)を伐らせないようにする。しらこばとが羽ばたき、やつがしらが桑の木に降りてくるころ、蚕棚の横木・かご・底の丸い器・底の四角い器(栚・曲・𥴧・筐)を用意する。后妃は物忌みをして身を清め、みずから東に向かって桑を摘む。女性たちには遊び見物を禁じ、余計な使役を減らして養蚕に専念させる。養蚕が成就したら、繭を分け、糸を量ってその成果を評価し、天地宗廟の祭服に供える。決して怠けてはならない。
解説
晩春の養蚕にまつわる政策と儀礼を述べています。桑を伐らせず、蚕を飼う道具を整え、后妃自ら桑を摘んで模範を示し、女性たちを養蚕に専念させ、成果を糸の量で評価して祭服に供えるという一連の流れです。国家の重要産業である絹づくりを、季節と結びつけ、上に立つ者が率先する形で奨励しています。現代でも、重点事業に資源を集中させ、リーダー自ら手本を示し、成果を数値で公正に評価する運営は有効です。季節資源を守りつつ、模範と評価で人を動かす組織論として読み解けます。
この章句が説くこと
野虞桑柘后妃躬桑蠶事養蚕
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