了凡四訓 / 積善之方・書は假るべきも、銀は假るべからず
馮琢菴太史之父,為邑庠生。隆冬早起赴學,路遇一人,倒臥雪中,捫之,半僵矣。遂解己綿裘衣之,且扶歸救甦。夢神告之曰:「汝救人一命,出至誠心,吾遣韓琦為汝子。」及生琢菴,遂名琦。 台州應尚書,壯年習業於山中。夜鬼嘯集,往往驚人,公不懼也。一夕聞鬼云:「某婦以夫久客不歸,翁姑逼其嫁人。明夜當縊死於此,吾得代矣。」公潛賣田,得銀四兩。即偽作其夫之書,寄銀還家;其父母見書,以手跡不類,疑之。既而曰:「書可假,銀不可假;想兒無恙。」婦遂不嫁。其子後歸,夫婦相保如初。
新字:馮琢菴太史之父,為邑庠生。隆冬早起赴学,路遇一人,倒臥雪中,捫之,半僵矣。遂解己綿裘衣之,且扶帰救甦。夢神告之曰:「汝救人一命,出至誠心,吾遣韓琦為汝子。」及生琢菴,遂名琦。 台州応尚書,壮年習業於山中。夜鬼嘯集,往往驚人,公不懼也。一夕聞鬼云:「某婦以夫久客不帰,翁姑逼其嫁人。明夜当縊死於此,吾得代矣。」公潜売田,得銀四両。即偽作其夫之書,寄銀還家;其父母見書,以手跡不類,疑之。既而曰:「書可仮,銀不可仮;想児無恙。」婦遂不嫁。其子後帰,夫婦相保如初。
書き下し
馮琢菴太史の父、邑の庠生為り。隆冬に早く起きて學に赴くに、路に一人の雪中に倒れ臥すに遇ふ。之を捫づれば、半ば僵れたり。遂に己の綿裘を解きて之に衣せ、且つ扶けて歸り救ひて甦らしむ。夢に神之に告げて曰く、「汝人の一命を救ふこと、至誠の心より出づ。吾韓琦を遣はして汝の子と為さん」と。琢菴を生むに及び、遂に琦と名づく。 台州の應尚書、壯年にして業を山中に習ふ。夜、鬼嘯き集まり、往往にして人を驚かすも、公懼れざるなり。一夕鬼の云ふを聞く、「某の婦、夫久しく客して歸らざるを以て、翁姑其の人に嫁ぐを逼る。明夜當に此に縊死すべし。吾代はりを得たり」と。公潛かに田を賣り、銀四兩を得たり。即ち偽りて其の夫の書を作り、銀を寄せて家に還す。其の父母書を見て、手跡の類せざるを以て、之を疑ふ。既にして曰く、「書は假るべきも、銀は假るべからず。想ふに兒は恙無からん」と。婦遂に嫁がず。其の子後に歸り、夫婦相保つこと初めの如し。
現代語訳
馮琢菴太史(翰林院の官、馮琦)の父は、県学の生徒でした。真冬の朝早く学校へ向かう途中、雪の中に倒れている人に出会いました。触ってみると、半ば凍えて固くなっていました。そこで自分の綿入れの皮衣を脱いで着せ、さらに抱えて家に連れ帰り、介抱して生き返らせました。すると夢に神が現れて、「あなたが人の命を一つ救ったのは、まごころから出たことだ。私は韓琦(北宋の名宰相)をあなたの子として遣わそう」と告げました。やがて琢菴が生まれると、そこで琦と名づけました。 台州の応尚書は、壮年のころ山中で学問に励んでいました。夜になると幽鬼が叫び集まり、しばしば人を驚かせましたが、公は恐れませんでした。ある晩、幽鬼がこう言うのを聞きました。「ある嫁が、夫が長く旅に出たまま帰らないので、舅と姑から再婚を迫られている。明晩ここで首をくくって死ぬはずだ。これで私は身代わりを得られる」。公はひそかに田を売って銀四両を得ると、すぐにその夫の手紙を偽って書き、銀を添えて家に送りました。夫の両親は手紙を見て、筆跡が似ていないので疑いました。しかしやがて「手紙は偽れても、銀は偽れない。きっと息子は無事なのだろう」と言いました。嫁はそれで再婚せずにすみました。のちに息子が帰ってきて、夫婦は元どおり共に暮らしました。
解説

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