論語 / 憲問篇
子曰:「不在其位,不謀其政。」
書き下し
子曰く、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。
現代語訳
先生がおっしゃった。「その地位にいないなら、その職務の政治に口を出さない。」
解説
泰伯篇にも同じ言葉があり、繰り返し説かれた原則である。担当でないことに口を出さない、という規律だ。消極的な処世訓に見えるが、二つの実際的な意味がある。一つは、責任を負わない立場からの発言は無責任になりやすいということ。実行の負担を引き受けないまま意見だけを述べれば、言うことは容易になる。もう一つは、自分の持ち場に集中するための線引きである。他部署の問題は目につきやすく、指摘すれば有能に見える。だが、その時間は自分の職務から引かれている。ただし、この原則を過度に適用すると、誰も全体を見ない組織になる。孔子自身、前の章では自分の職分を理由に諫言している。位に在らざれば口を出さないというのは、逆に言えば、位にある事柄には必ず口を出すということでもある。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
職分越権集中規律責任
関連する章句
-
『墨子』號令圍城の重禁。敵人、卒かに至らば、嚴しく吏民に令して、敢えて讙囂し、三最並び行き、相い視て坐して泣き涕を流すこと無からしむ。若し視て手を舉げて相い探り、相い指し相い呼び、相い歴り相い踵し、相い投じ相い擊ち、相い靡くに身及び衣を以てし、訟駮の言語、及び令に非ずして敵の動移を視る者は、斬る。伍人、得ざれば斬る。之を得れば除く。五人、城を踰えて敵に歸せば、伍人、得ざれば斬る。伯と敵に歸せば、隊吏、斬る。吏と敵に歸せば、隊将、斬る。
-
『潜夫論』述赦凡そ民の軽がるしく盗賊を為す所以、吏の奸匿を作し易き所以の者は、赦贖数しばなるを以て僥望有ればなり。若し犯罪の人をして、終身命を被り、得て必ず刑せしめば、則ち奸を計るの謀破れて悪を慮るの心絶えん。夫れ良贖は可なり、孺子をして妲ならしむ可く、中庸の人は、弘めて下す可し。故に其の諺に曰く、「一歳に載た赦せば、奴児噫嗟す」と。言うこころは王誅行われざれば、則ち痛瘀の子も皆軽がるしく犯す、況んや狡をや。若し誠に盗賊多くして奸勝えざるを畏れて赦すと思わば、則ち是れ国を為むること奸の冗報を為すなり。夫れ天道は善を賞して淫を刑し、天工は人其れ之に代わる。故に凡そ王者を立つるは、将に以て邪悪を誅して正善を養わんとするなり、而るに以て邪悪逆妄を逞しくするは焉より甚しきは莫し。且つ夫れ国に常治無く、又常乱無し。法令行わるれば則ち国治まり、法令弛めば則ち国乱る。法は常に行わるる無く、法は常に弛む無し。君法を敬えば則ち法行われ、君法を慢にすれば則ち法弛む。昔孝明帝の時、製して茂才を挙げ、闕を過ぎて恩を謝し、食を賜い事訖わりて、何の異聞ぞと問う。対えて曰く、「巫に劇賊九人有り、刺史数しば郡を竊むを以て、訖に得る能わず」と。帝曰く、「汝は南郡に部せる従事に非ずや」と。対えて曰く、「是なり」と。帝乃ち振怒して曰く、「賊部中に発して擒うる能わず、然らば材は何を以て茂ならんや」と。捶つこと数百、便ち官を免じ、而して切に州郡を譲め、十日の間に、賊即ち伏誅す。此に由りて之を観れば、盗賊を擒滅するは、法を明らかにするに在り、数しば赦すに在らざるなり。
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
-
『呻吟語』内篇・談道・相責各盡の四字天下の治亂は、只だ「相責各盡」の四字に在るのみ。
-
史記 趙世家趙衰、重耳に従ひて出亡すること凡そ十九年、国に反ることを得たり。重耳晋の文公と為り、趙衰原の大夫と為り、原に居り、国政に任ず。文公の国に反り及び霸たる所以は、多く趙衰の計策なり。語は晋の事の中に在り。趙衰既に晋に反り、晋の妻固く翟の妻を迎へんことを要め、而して其の子盾を以て適嗣と為し、晋の妻の三子皆下りて之に事ふ。晋の襄公の六年にして趙衰卒し、諡して成季と為す。趙盾、成季に代はりて国政に任ずること二年にして晋の襄公卒す。太子夷皋年少し。盾、国の多難なるが為に、襄公の弟雍を立てんと欲す。雍時に秦に在り。使をして之を迎へしむ。太子の母日夜啼泣し、頓首して趙盾に謂ひて曰く、「先君何の罪かある。其の適子を釈きて更に君を求むるか」と。趙盾之を患へ、其の宗と大夫との襲ひて之を誅せんことを恐れ、乃ち遂に太子を立つ、是を霊公と為す。兵を発して襄公の弟を秦に迎ふる所の者を距ぐ。霊公既に立ち、趙盾益々国政を専らにす。霊公立ちて十四年、益々驕る。趙盾驟々諫むれども、霊公聴かず。熊蹯を食らふに及び、胹て熟せず、宰人を殺し、其の尸を持ちて出づ。趙盾之を見る。霊公此に由りて懼れ、盾を殺さんと欲す。盾素より仁にして人を愛す。嘗て食はせし所の桑下の餓人、反りて捍ぎて盾を救ふ。盾以て亡ぐるを得たり。未だ境を出でずして、趙穿霊公を弑して襄公の弟黒臀を立つ、是を成公と為す。趙盾復た反りて国政に任ず。君子盾を譏る、「正卿と為りて、亡げて境を出でず、反りて賊を討たず」と。故に太史書して曰く「趙盾其の君を弑す」と。晋の景公の時にして趙盾卒し、諡して宣孟と為す。子朔嗣ぐ。趙朔、晋の景公の三年、朔晋の将として下軍に将として鄭を救ひ、楚の荘王と河上に戦ふ。朔、晋の成公の姊を娶りて夫人と為す。晋の景公の三年、大夫屠岸賈、趙氏を誅せんと欲す。初め、趙盾在りし時、夢に叔帯の要を持ちて哭するを見る。甚だ悲し。已にして笑ひ、手を拊ちて且つ歌ふ。
-
『呻吟語』外篇・世運・氣化の罪に非ざるなり世界は一般に是れ唐虞の時の世界なり。黎民は一般に是れ唐虞の時の黎民なり。而るに治は古に若かず。氣化の罪に非ざるなり。