論語 / 述而篇
子所雅言,詩書執禮皆雅言也。
新字:子所雅言,詩書執礼皆雅言也。
書き下し
子の雅言にする所は、詩書礼を執るは皆雅言なり。
現代語訳
孔子は詩書礼の教育では品のある言葉(雅言)を用いた。
解説
孔子が普段からきちんとした言葉遣い(雅言)を用いたのは、詩(詩経)や書(書経)を説き、礼のふるまいを教えるときでした。日常のちょっとした雑談では砕けた言葉を使っても構いませんが、大切な教えや、人として守るべき筋道を語るときには、言葉を選び、丁寧に話していたということです。言葉は使う場面によって重みが変わります。友人とのおしゃべりならくだけた調子で構いませんが、子供に善悪を教えるとき、家族に大事な決断を伝えるとき、後輩に仕事の心構えを話すときには、投げやりな言葉ではなく、筋道立った丁寧な言葉を選ぶべきです。話す内容の重さに言葉遣いを合わせることは、相手への敬意の表れであり、伝えたいことがきちんと届くための工夫でもあります。孔子のこの姿勢は、家庭でも近所付き合いでも参考になります。
この章句が説くこと
コミュニケーションスタイル理念企業文化プレゼンテーション品位
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