韓非子 / 難言第三
閎大廣博,妙遠不測,則見以爲夸而無用;
新字:閎大広博,妙遠不測,則見以為夸而無用;
書き下し
関大廣博にして、妙遠測られざれば
現代語訳
(話が)壮大で広範にわたり、深遠で測り知れないと(現実離れしていると思われる)
解説
「話の内容が広く大きく、奥深くて測りがたいほどであると、聞く側からは『大風呂敷を広げているだけで、実際には役に立たない話だ』と受け取られてしまう」という戒めです。人の上に立つ者が高い理想や大きな見通しを口にすること自体は大切なことですが、それをどう日々の暮らしや仕事に落とし込むのか、具体的な道筋を添えなければ、夢物語だと軽んじられてしまいます。これは会社を率いる人だけでなく、子どもに将来を語る親や、地域の集まりで大きな計画を持ち出す世話役にも当てはまります。大きな話をするときほど、足元の小さな一歩を示し、聞く人が『なるほど、それならできそうだ』と思えるように話す工夫が求められるのです。
この章句が説くこと
ビジョン具体性実現可能性大局観戦略
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『韓非子』詭使第四十五聖人の治道を為す所以の者三あり。一に曰く利、二に曰く威、三に曰く名。夫れ利は民を得る所以なり、威は令を行う所以なり、名は上下の同じく道る所なり。
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『韓非子』用人第二十七明主の表は見易し、故に約立つ。其の教えは知り易し、故に言用いらる。其の法は為し易し、故に令行わる。
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説苑・說叢寸にして之を度れば、丈に至りて必ず差う。銖にして之を稱れば、石に至りて必ず過つ。石稱丈量は、徑にして失少なし。絲を簡び米を數うるは、煩にして察せず。故に大較は智を為し易く、曲辯は慧を為し難し。
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孟子・公孫丑章句下孟子、齊を去る。尹士、人に語りて曰く、「王の以て湯・武為る可からざるを識らざれば、則ち是れ不明なり。其の不可なるを識りて然も且つ至らば、則ち是れ澤を干むるなり。千里にして王に見え、遇わざるが故に去る。三宿にして而る後に晝を出づ。是れ何ぞ濡滯なるや。士は則ち茲に悅ばず。」高子以て告ぐ。曰く、「夫の尹士は惡くんぞ予を知らんや。千里にして王に見ゆるは、是れ予が欲する所なり。遇わざるが故に去るは、豈に予が欲する所ならんや。予、已むを得ざるなり。予、三宿して晝を出づるも、予が心に於いては猶ほ以て速かなりと為す。王、庶幾わくは之を改めよ。王如し諸を改めば、則ち必ず予を反さん。夫れ晝を出でて、而も王、予を追わざるなり。予然る後浩然として歸志有り。予然りと雖も、豈に王を舍てんや。王由ほ用て善を為すに足れり。王如し予を用いば、則ち豈に徒に齊の民安きのみならんや。天下の民舉な安からん。王庶幾は之を改めよ。予日々に之を望めり。予豈に是の小丈夫の若く然らんや。其の君を諫めて受けられざれば、則ち怒り、悻悻然として其の面に見れ、去れば則ち日の力を窮めて、而る後に宿せんや。」尹士之を聞きて曰く、「士は誠に小人なり。」
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