列子 / 説符篇
齊田氏祖於庭、食客千人、中坐有獻魚雁者。田氏視之、乃歎曰:「天之於民厚矣!殖五穀、生魚鳥以爲之用。」衆客和之如響。鮑氏之子年十二、預於次、進曰:「不如君言。天地萬物與我並生、類也。類無貴賤、徒以小大智力而相制、迭相食、非相爲而生之。人取可食者而食之、豈天本爲人生之?且蚊蚋噆膚、虎狼食肉、非天本爲蚊蚋生人、虎狼生肉者哉?」
新字:斉田氏祖於庭、食客千人、中坐有献魚雁者。田氏視之、乃嘆曰:「天之於民厚矣!殖五穀、生魚鳥以為之用。」衆客和之如響。鮑氏之子年十二、預於次、進曰:「不如君言。天地万物与我並生、類也。類無貴賤、徒以小大智力而相制、迭相食、非相為而生之。人取可食者而食之、豈天本為人生之?且蚊蚋噆膚、虎狼食肉、非天本為蚊蚋生人、虎狼生肉者哉?」
書き下し
齊の田氏庭に祖す。食客千人。中坐に魚雁を獻ずる者有り。田氏之を視て、乃ち歎じて曰く、天の民に於けるや厚し。五穀を殖え、魚鳥を生じて以て之が用と爲す、と。衆客之に和すること響の如し。鮑氏の子年十二、次に預る。進みて曰く、君の言の如くならず。天地萬物は我と並び生ず。類なり。類に貴賤無し。徒だ小大智力を以て相い制し、迭いに相い食らうのみ。相い爲にして之を生ずるに非ざるなり。人は食らうべき者を取りて之を食らう。豈に天本と人の爲に之を生ぜんや。且つ蚊蚋は膚を噆み、虎狼は肉を食らう。天本と蚊蚋の爲に人を生じ、虎狼の爲に肉を生ずる者に非ざらんや、と。
現代語訳
斉の田氏が庭で旅立ちの祭りをした。食客が千人いた。宴の途中で、魚や雁を献上する者がいた。田氏はそれを見て、感嘆して言った。「天が民に対して手厚いことよ。五穀を実らせ、魚や鳥を生んで、人の用に立ててくれる」。並みいる客たちは、こだまのように同意した。鮑氏の子で十二歳になる者が、末席に連なっていた。進み出て言った。「あなたの言われるとおりではありません。天地万物は我々とともに生まれた。同じ類です。同じ類に貴賤はない。ただ大小と知力によって互いを制し、代わるがわる食い合っているだけです。互いのために生まれたのではありません。人は食べられるものを取って食べる。どうして天がもともと人のためにそれを生んだといえましょう。それに蚊は人の肌を刺し、虎や狼は肉を食う。天がもともと蚊のために人を生み、虎や狼のために肉を生んだとでもいうのでしょうか」。
解説
この章句が説くこと
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『初学訓』巻之一一天につかへておこたらずとは、人となる者、只朝夕天道の眼前にありて遠からざることを思ひ、つねに天道を畏れ敬ひてあなどらず、かりにも天道をそむき無道のことをなすべからず。天道にしたがひてそむかず、わが身をへりくだりて、人をあなどりほこらず、欲をこらへてほしいままにせず、天地の生みていつくしみ給ふ人倫をあつくあはれみて、あなどらずそこなはず。天地の、人のためにつくり出し給ふ五穀と万のたからを、わが一人の欲のためにみだりにつひやさず。次に、鳥獣虫魚の生ける物をみだりにころさず、草木をも時ならずしてみだりに伐らず。是皆天地のうみ出しやしなひて、いつくしみ給ふ物なれば、これをあはれみ養ふは、天地の御心に従ひて背かざるわざなり。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『呻吟語』内篇・問學・胸中獨り得たる中正の道理學問の大要は、須らく天道・人情・物理・世故を把りて識得すること透徹し、卻って胸中獨り得たる中正底の道理を以て之を消息すべし。
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『慎思録』巻之四陽過ぐれば則ち大旱と為り、陰過ぐれば則ち霪雨と為る。或いは大風洪水、山崩れ川決し、海溢れ地震ひ、疾疫蟲蝗、種種の災害は、皆是れ陰陽闔闢の大過不及なり。是れ天道は無心にして、陰陽に変有る所以なり。天道の至理は、本自ら善にして悪無し。之を善と謂ふ者は生生覆育の謂なり。然れども陰陽の変易は、雑糅して究まり無く、動静常無し。是を以て災害時有りて生ず。是れ天理の正に非ずと雖も、然れども是れも亦た天理の中に無きこと能はざる者にして、自然の理なり。故に程子曰く、善悪皆天理なり、と。又曰く、善は固より性なり。然れども悪も亦た之を性と謂はざるべからず、と。深く此の意を得たりと謂ふべし。
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孔子家語・六本孔子斉に在り、外館に舎る。景公造く。賓主の辞既に接するや、左右白して曰わく、「周の使い適に至り、先王の廟災すと言う。」景公覆た災は何れの王の廟なるかを問う。孔子曰わく、「此れ必ず厘王の廟ならん。」公曰わく、「何を以て之れを知るや。」孔子曰わく、「詩に云う、『皇皇たる上天、其の命忒わず。天の善を以てするや、必ず其の徳に報ゆ。』禍も亦た之れの如し。夫れ厘王は文武の制を変じ、玄黄華麗の飾りを作り、宮室崇峻に、輿馬奢侈にして、振るう可からず。故に天殃宜しく其の廟に加うべし、是を以て之れを占なうに然りと為す。」公曰わく、「天何ぞ其の身を殃せずして、其の廟に罰を加うるや。」孔子曰わく、「蓋し文武を以ての故なり。若し其の身を殃せば、則ち文武の嗣、乃ち殄びんとするに無からんや。故に当に其の廟を殃すべく、以て其の過ちを彰らかにす。」俄頃にして、左右報じて曰わく、「災する所は、厘王の廟なり。」景公驚き起ちて、再拝して曰わく、「善いかな、聖人の智、人に過ぐること遠し。」
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『初学訓』巻之三一天道は、人の善に福し、悪に禍し給ふ。是人のしわざの善悪によりて、天より、福と禍とを報い給へる理なり。是は、天道の常理なり、疑ふべからず。又人の生質によりて、富貴、貧賤、禍福、寿夭あり。或は、時によりて不意に吉凶あり。皆是、陰陽の変化にして、人の生れつきにより、気を禀くること厚薄あり。厚き気をうけたる人は富貴にして福あり。薄き気をうけたる人は、貧賤にして禍あり。又、長き気をうけたるは寿く、短き気をうけたるは夭し。天の陰陽の気をうけて如斯なれば、すべて天命といふ。
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