列子 / 説符篇
楊子之鄰人亡羊、既率其黨、又請楊子之豎追之。楊子曰:「嘻!亡一羊、何追者之衆?」鄰人曰:「多歧路。」既反、問:「獲羊乎?」曰:「亡之矣。」曰:「奚亡之?」曰:「歧路之中又有歧焉、吾不知所之、所以反也。」楊子戚然變容、不言者移時、不笑者竟日。門人怪之、請曰:「羊、賤畜、又非夫子之有、而損言笑者、何哉?」楊子不答。門人不獲所命。
新字:楊子之鄰人亡羊、既率其党、又請楊子之豎追之。楊子曰:「嘻!亡一羊、何追者之衆?」鄰人曰:「多歧路。」既反、問:「獲羊乎?」曰:「亡之矣。」曰:「奚亡之?」曰:「歧路之中又有歧焉、吾不知所之、所以反也。」楊子戚然変容、不言者移時、不笑者竟日。門人怪之、請曰:「羊、賤畜、又非夫子之有、而損言笑者、何哉?」楊子不答。門人不獲所命。
書き下し
楊子の鄰人羊を亡う。既に其の黨を率い、又た楊子の豎を請いて之を追う。楊子曰く、嘻、一羊を亡いて、何ぞ追う者の衆きか、と。鄰人曰く、歧路多ければなり、と。既に反る。問う、羊を獲たるか、と。曰く、之を亡えり、と。曰く、奚ぞ之を亡えるか、と。曰く、歧路の中に又た歧有り。吾之く所を知らず。反る所以なり、と。楊子戚然として容を變じ、言わざる者時を移し、笑わざる者日を竟う。門人之を怪しみ、請いて曰く、羊は賤畜なり。又た夫子の有に非ず。而るに言笑を損ずる者は、何ぞや、と。楊子答えず。門人命ずる所を獲ず。
現代語訳
楊子の隣人が羊を逃がした。一族を引き連れたうえ、楊子の下男まで借りて追いかけた。楊子は言った。「おや、羊一頭を逃がして、どうしてこんなに大勢で追うのか」。隣人は言った。「分かれ道が多いからです」。やがて帰ってきた。楊子が尋ねた。「羊は捕まえたか」。「逃がしました」。「どうして逃がしたのか」。「分かれ道のなかにまた分かれ道がありました。どこへ行ったのか分からず、それで帰ってきたのです」。楊子は沈んだ顔つきになり、しばらく口をきかず、一日じゅう笑わなかった。門人たちは不思議に思って尋ねた。「羊は取るに足りない家畜です。しかも先生の持ち物でもない。それなのに口数も笑いも減らしておられるのは、なぜですか」。楊子は答えなかった。門人たちは答えを得られなかった。
解説
この章句が説くこと
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『列子』説符篇孟孫陽之を讓めて曰く、何ぞ吾子の問うことの迂にして、夫子の答うることの僻なる。吾が惑い愈々甚だし、と。心都子曰く、大道は歧多きを以て羊を亡い、學者は方多きを以て生を喪う。學は本より同じからざるに非ず、本より一ならざるに非ず。而るに末の異なること是くの若し。唯だ同に歸り一に反るのみ、得喪を亡くすと爲す。子は先生の門に長じ、先生の道を習う。而も先生の況えを達せざるは、哀しいかな、と。
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『列子』説符篇楊朱の弟を布と曰う。素衣を衣て出づ。天雨る。素衣を解き、緇衣を衣て反る。其の狗知らず、迎えて之に吠ゆ。楊布怒り、將に之を扑たんとす。楊朱曰く、子扑つこと無かれ。子も亦た猶お是くのごときなり。嚮者汝の狗をして白くして往き、黑くして來たらしめば、豈に能く怪しむこと無からんや、と。
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『列子』黄帝篇楊朱南のかた沛に之く。老聃西のかた秦に遊び、郊に邀う。梁に至りて老子に遇う。老子中道に天を仰ぎて歎じて曰く、始めは汝を以て教うべしと爲す。今は教うべからざるなり、と。楊朱答えず。舍に至り、涫漱巾櫛を進む。履を戶外に脫ぎ、膝行して前み、曰く、向き者夫子天を仰ぎて歎じて曰く、始めは汝を以て教うべしと爲す、今は教うべからず、と。弟子夫子に辭を請わんと欲するも、行きて閒あらず。是を以て敢えてせず。今夫子閒なり。請う其の過ちを問わん、と。
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『列子』楊朱篇楊朱梁王に見え、天下を治むるは諸を掌に運らすが如しと言う。梁王曰く、先生に一妻一妾有るも治むる能わず、三畝の園も芸る能わず。而るに天下を治むるは諸を掌に運らすが如しと言うは、何ぞや、と。對えて曰く、君は其の羊を牧う者を見しか。百羊にして羣す。五尺の童子をして箠を荷いて之に隨わしむれば、東せんと欲すれば東し、西せんと欲すれば西す。堯をして一羊を牽かしめ、舜をして箠を荷いて之に隨わしめば、則ち前む能わざらん。且つ臣之を聞けり、舟を吞むの魚は、枝流に游がず。鴻鵠は高く飛びて、汙池に集まらず、と。何となれば則ち其の極めて遠ければなり。黄鐘大呂は、煩奏の舞に從うべからず。何となれば則ち其の音疏なればなり。將に大なる者を治めんとする者は細を治めず、大功を成す者は小を成さず、と。此の謂いなり、と。
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