荘子 / 徐無鬼
惠子曰:「今夫儒、墨、楊、秉,且方與我以辯,相拂以辭,相鎮以聲,而未始吾非也,則奚若矣?」莊子曰:「齊人蹢子於宋者,其命閽也不以完,其求鈃鍾也以束縛,其求唐子也而未始出域,有遺類矣夫!楚人寄而蹢閽者,夜半於無人之時而與舟人鬥,未始離於岑,而足以造於怨也。」
新字:恵子曰:「今夫儒、墨、楊、秉,且方与我以弁,相払以辞,相鎮以声,而未始吾非也,則奚若矣?」荘子曰:「斉人蹢子於宋者,其命閽也不以完,其求鈃鍾也以束縛,其求唐子也而未始出域,有遺類矣夫!楚人寄而蹢閽者,夜半於無人之時而与舟人鬥,未始離於岑,而足以造於怨也。」
書き下し
恵子曰く、「今夫れ儒・墨・楊・秉、且つ方に我と辯を以てし、相拂(あいはら)うに辞を以てし、相鎮(あいしず)むるに声を以てす。而も未だ始めより吾を非とせず。則ち奚若(いかん)」と。荘子曰く、「斉人の子を宋に蹢(す)つる者は、其の閽(もんばん)に命ずるや完(まった)きを以てせず。其の鈃鍾(けいしょう)を求むるや束縛を以てす。其の唐子(とうし)を求むるや、未だ始めより域を出でず。遺類有るかな。楚人の寄りて閽(もんばん)を蹢つ者は、夜半、人無きの時に於いて舟人と闘う。未だ始めより岑(きし)を離れず、而も以て怨を造るに足れり」と。
現代語訳
恵子は言った。「今、儒家・墨家・楊朱・公孫龍が、私と論争し、言葉で払いのけ合い、声で押さえつけ合っている。それでも彼らは、私を間違いだとまでは言わない。これはどういうことか」。荘子は言った。「斉の人が子を宋に捨てる時、門番に預けるのに五体満足ではさせない。鐘や鈴を手に入れる時は、傷つかないよう縛って運ぶ。ところが失った我が子を探す時は、自分の土地から一歩も出ようとしない。取り違えているではないか。楚の人が旅先で門番に預けられ、夜中、人のいない時に船頭と喧嘩をする。岸を離れてもいないのに、恨みを作るには十分だ」と。
解説
この章句が説くこと
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荘子・徐無鬼荘子曰く、「然らば則ち、儒・墨・楊・秉(へい)の四、夫子と与に五と為る。果たして孰か是なるか。或いは魯遽(ろきょ)の若き者か。其の弟子曰く、『我は夫子の道を得たり。吾は能く冬に鼎を爨(かし)ぎて夏に冰を造る』と。魯遽曰く、『是れ直(た)だ陽を以て陽を召き、陰を以て陰を召くのみ。吾が所謂道に非ざるなり。吾子に吾が道を示さん』と。是に於いて之が為に瑟(しつ)を調え、一を堂に廃(お)き、一を室に廃く。宮を鼓すれば宮動き、角を鼓すれば角動く。音律同じければなり。夫れ或いは一弦を改調すれば、五音に当たる無し。之を鼓すれば二十五弦皆な動く。未だ始めより声に異ならず、而も音の君なるのみ。且つ是の若き者か」と。
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荘子・徐無鬼荘子葬を送り、恵子の墓を過ぐ。顧みて従者に謂いて曰く、「郢人(えいひと)堊(あく)を其の鼻端に慢(ぬ)ること蠅翼(ようよく)の若し。匠石をして之を斲(き)らしむ。匠石斤(おの)を運らして風を成し、聴(まか)せて之を斲る。堊を尽くして鼻を傷つけず。郢人は立ちて容を失わず。宋の元君之を聞き、匠石を召して曰く、『嘗みに寡人の為に之を為せ』と。匠石曰く、『臣は則ち嘗て能く之を斲れり。然りと雖も、臣の質は死して久し』と。夫子の死してより、吾は以て質と為す無し。吾は与に之を言うこと無し」と。
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荘子・徐無鬼荘子曰く、「射る者、前(あらかじ)め期せずして中(あ)つるを、之を善射と謂わば、天下皆な羿なり。可ならんか」と。恵子曰く、「可なり」と。荘子曰く、「天下に公是(こうぜ)有るに非ずして、各々其の是とする所を是とせば、天下皆な堯なり。可ならんか」と。恵子曰く、「可なり」と。
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荘子・徐無鬼徐無鬼(じょむき)女商(じょしょう)に因りて魏の武侯に見(まみ)ゆ。武侯之を労(ねぎら)いて曰く、「先生病めり。山林の労に苦しむ。故に乃ち肯(あ)えて寡人に見ゆるか」と。徐無鬼曰く、「我は則ち君を労わらん。君は何ぞ我を労わること有らんや。君将に耆欲(しよく)を盈(み)たし、好悪を長ぜんとせば、則ち性命の情病まん。君将に耆欲を黜(しりぞ)け、好悪を掔(す)てんとせば、則ち耳目病まん。我は将に君を労わらんとす。君は何ぞ我を労わること有らんや」と。武侯超然として対えず。
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荘子・斉物論古の人、其の知至る所有り。悪(いず)くにか至る。以て未だ始めより物有らずと為す者有り。至れり尽くせり、以て加うべからず。其の次は以て物有りと為すも、而も未だ始めより封(ほう)有らざるなり。其の次は以て封有りと為すも、而も未だ始めより是非有らざるなり。是非の彰(あき)らかなるや、道の虧(か)くる所以なり。道の虧くる所以は、愛の成る所以なり。果たして且た成と虧と有らんか。果たして且た成と虧と無からんか。成と虧と有り、故に昭氏(しょうし)の琴を鼓(こ)するなり。成と虧と無し、故に昭氏の琴を鼓せざるなり。昭文(しょうぶん)の琴を鼓するや、師曠(しこう)の策を枝(つ)くや、恵子の梧(ご)に拠(よ)るや、三子の知は幾(ちか)きかな。皆な其の盛んなる者なり。故に之を末年に載(の)す。唯だ其の之を好むや、以て彼に異なる。其の之を好むや、以て之を彼に明らかにせんと欲す。明らかにする所に非ずして之を明らかにす。故に堅白(けんぱく)の昧(まい)を以て終わる。而して其の子も又た文の綸(りん)を以て終わり、身を終うるまで成る無し。是(かく)の若くにして成ると謂うべくんば、我と雖も亦た成れり。是の若くにして成ると謂うべからずんば、物と我と成る無し。是の故に滑疑(こつぎ)の耀(よう)は、聖人の図(はか)る所なり。是が為に用いずして諸を庸に寓す。此を之れ明を以てすと謂う。
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荘子・斉物論夫れ其の成心(せいしん)に随いて之を師とせば、誰か独り且(は)た師無からんや。奚(なん)ぞ必ずしも代(たい)を知りて心自ら取る者のみ之れ有らんや。愚者も与(とも)に有り。未だ心を成さずして是非有るは、是れ今日越に適(ゆ)きて昔(きのう)至るなり。是れ有る無きを以て有りと為す。有る無きを有りと為さば、神禹(しんう)有りと雖も、且つ知る能わず。吾独り且た柰何(いかん)せんや。夫れ言は吹くに非ざるなり。言う者は言有り。其の言う所の者は特(た)だ未だ定まらず。果たして言有るか、其れ未だ嘗て言有らざるか。其れ以て鷇音(こうおん)に異なると為すも、亦た辯(べん)有るか、其れ辯無きか。道は悪(いず)くに隠れて真偽有る。言は悪くに隠れて是非有る。道は悪くに往きて存せざらん。言は悪くに存して可ならざらん。道は小成(しょうせい)に隠れ、言は栄華に隠る。故に儒・墨の是非有り。以て其の非とする所を是とし、而して其の是とする所を非とす。其の非とする所を是とし而して其の是とする所を非とせんと欲せば、則ち明を以てするに若(し)くは莫し。
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