列子 / 楊朱篇
楊朱曰:「生民之不得休息、爲四事故:一爲壽、二爲名、三爲位、四爲貨。有此四者、畏鬼、畏人、畏威、畏刑。此謂之遁民也。可殺可活、制命在外。不逆命、何羨壽?不矜貴、何羨名?不要勢、何羨位?不貪富、何羨貨?此之謂順民也。天下無對、制命在內。
新字:楊朱曰:「生民之不得休息、為四事故:一為寿、二為名、三為位、四為貨。有此四者、畏鬼、畏人、畏威、畏刑。此謂之遁民也。可殺可活、制命在外。不逆命、何羨寿?不矜貴、何羨名?不要勢、何羨位?不貪富、何羨貨?此之謂順民也。天下無対、制命在内。
書き下し
楊朱曰く、生民の休息を得ざるは、四事の爲の故なり。一に壽の爲、二に名の爲、三に位の爲、四に貨の爲なり。此の四つの者有れば、鬼を畏れ、人を畏れ、威を畏れ、刑を畏る。此れを之れ遁民と謂うなり。殺すべく活かすべく、命を制するは外に在り。命に逆らわざれば、何ぞ壽を羨まん。貴を矜らざれば、何ぞ名を羨まん。勢を要めざれば、何ぞ位を羨まん。富を貪らざれば、何ぞ貨を羨まん。此れを之れ順民と謂うなり。天下に對する無く、命を制するは内に在り。
現代語訳
楊朱は言った。「人が休息を得られないのは、四つのことのためである。一つは長寿のため、二つは名声のため、三つは地位のため、四つは財貨のためである。この四つを持つ者は、亡霊を恐れ、人を恐れ、権威を恐れ、刑罰を恐れる。これを逃げ回る民という。殺すも生かすも他人しだいで、命を握るものが外側にある。運命に逆らわなければ、どうして長寿をうらやもう。貴さを誇らなければ、どうして名声をうらやもう。勢いを求めなければ、どうして地位をうらやもう。富をむさぼらなければ、どうして財貨をうらやもう。これを従う民という。天下に張り合う相手がなく、命を握るものが内側にある」。
解説
長寿・名声・地位・財貨。この四つを求めると、亡霊・人・権威・刑罰の四つを恐れることになる。求めるものと恐れるものが一対一で対応している、という指摘です。そして決定的なのは最後の対比です。四つを求める者は「命を制するは外に在り」、求めない者は「命を制するは内に在り」。何かを欲しがることは、それを与えたり奪ったりできる誰かに自分を預けることだ、という構造の話です。経営者が誰かに頭が上がらなくなるとき、原因はたいてい欲しいものの側にあります。恐れを減らしたければ、勇気ではなく、欲しいものの一覧を見直すことになります。
この章句が説くこと
一に寿の為二に名の為三に位の為四に貨の為遁民順民命を制するは内に在り
関連する章句
-
『列子』楊朱篇楊朱曰く、豐屋・美服・厚味・姣色、此の四つの者有らば、何ぞ外に求めん。此れ有りて外に求むる者は、厭く無きの性なり。厭く無きの性は、陰陽の蠹なり。忠は以て君を安んずるに足らず、適だ以て身を危うくするに足る。義は以て物を利するに足らず、適だ以て生を害するに足る。上を安んずるは忠に由らず、而して忠の名滅す。物を利するは義に由らず、而して義の名絕ゆ。君臣皆な安く、物我兼ねて利するは、古の道なり。
-
『列子』楊朱篇孟孫陽楊朱に問いて曰く、此に人有り、生を貴び身を愛して、以て死せざるを蘄う。可ならんか、と。曰く、理として死せざるは無し、と。以て久しく生きんことを蘄うは、可ならんか、と。曰く、理として久しく生くるは無し。生は之を貴びて能く存する所に非ず、身は之を愛して能く厚くする所に非ず。且つ久しく生きて奚をか爲さん。五情の好惡は、古も猶お今のごとし。四體の安危は、古も猶お今のごとし。世事の苦樂は、古も猶お今のごとし。變易治亂は、古も猶お今のごとし。既に之を聞けり、既に之を見たり、既に之を更たり。百年すら猶お其の多きを厭う。況んや久生の苦しみをや、と。
-
『列子』楊朱篇太古の人は生の暫く來たるを知り、死の暫く往くを知る。故に心に從いて動き、自然の好む所に違わず。當身の娛しみは去る所に非ざるなり。故に名の勸むる所と爲らず。性に從いて游び、萬物の好む所に逆らわず。死後の名は取る所に非ざるなり。故に刑の及ぶ所と爲らず。名譽の先後、年命の多少は、量る所に非ざるなり、と。
-
『列子』楊朱篇楊朱曰く、百年は壽の大齊なり。百年を得る者は千に一も無し。設い一有る者も、孩抱より昏老に逮ぶまで、幾ど其の半ばに居る。夜眠の弭む所、晝覺の遺る所、又た幾ど其の半ばに居る。痛疾哀苦、亡失憂懼、又た幾ど其の半ばに居る。十數年の中を量るに、逌然として自得し介焉の慮無き者は、亦た一時の中も亡きのみ。則ち人の生や奚をか爲さんや。奚をか樂しまんや。美厚を爲すのみ、聲色を爲すのみ。而も美厚は復た常には厭足すべからず、聲色は常には翫聞すべからず。乃ち復た刑賞の禁勸する所、名法の進退する所と爲り、遑遑爾として一時の虛譽を競い、死後の餘榮を規る。偊偊爾として耳目の觀聽に順い、身意の是非を惜しみ、徒らに當年の至樂を失い、一時に自ら肆にする能わず。重囚纍梏、何を以て异ならんや。
-
『列子』楊朱篇楊朱魯に游び、孟氏に舍る。孟氏問いて曰く、人のみ、奚を以てか名を爲さん、と。曰く、名を以てするは富を爲すなり、と。既に富めり、奚ぞ已まざるか、と。曰く、貴を爲すなり、と。既に貴し、奚ぞ已まざるか、と。曰く、死を爲すなり、と。既に死せり、奚をか爲さん、と。曰く、子孫を爲すなり、と。名は奚ぞ子孫に益あらん、と。曰く、名は乃ち其の身を苦しめ、其の心を燋がす。其の名に乘る者は、澤は宗族に及び、利は鄉黨を兼ぬ。況んや子孫をや、と。凡そ名を爲す者は必ず廉なり。廉なれば斯に貧し。名を爲す者は必ず讓る。讓れば斯に賤し、と。
-
『列子』楊朱篇凡そ彼の四聖なる者は、生きて一日の歡び無く、死して萬世の名有り。名なる者は、固より實の取る所に非ざるなり。之を稱うと雖も知らず、之を賞すと雖も知らず。株塊と以て異なる無し。桀は累世の資に藉り、南面の尊に居る。智は以て羣下を距ぐに足り、威は以て海内を震わすに足る。耳目の娛しむ所を恣にし、意慮の爲す所を窮め、熙熙然として以て死に至る。此れ天民の逸蕩なる者なり。紂も亦た累世の資に藉り、南面の尊に居る。威は行われざる無く、志は從わざる無し。情を傾宮に肆にし、欲を長夜に縱にし、禮義を以て自ら苦しめず、熙熙然として以て誅に至る。此れ天民の放縱なる者なり。