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列子 / 楊朱篇

楊朱曰:「太古之事滅矣、孰誌之哉?三皇之事若存若亡、五帝之事若覺若夢、三王之事或隱或顯、億不識一。當身之事或聞或見、萬不識一。目前之事或存或廢、千不識一。太古至于今日、年數固不可勝紀。但伏羲已來三十餘萬歲、賢愚、好醜、成敗、是非、無不消滅、但遲速之間耳。矜一時之毀譽、以焦苦其神形、要死後數百年中餘名、豈足潤枯骨?何生之樂哉?」

新字:楊朱曰:「太古之事滅矣、孰誌之哉?三皇之事若存若亡、五帝之事若覚若夢、三王之事或隠或顕、億不識一。当身之事或聞或見、万不識一。目前之事或存或廃、千不識一。太古至于今日、年数固不可勝紀。但伏羲已来三十余万歳、賢愚、好醜、成敗、是非、無不消滅、但遅速之間耳。矜一時之毀誉、以焦苦其神形、要死後数百年中余名、豈足潤枯骨?何生之楽哉?」

書き下し

楊朱曰く、太古の事は滅せり。孰か之を誌さんや。三皇の事は存するが若く亡きが若し。五帝の事は覺むるが若く夢むるが若し。三王の事は或いは隱れ或いは顯る。億にして一を識らず。當身の事は或いは聞き或いは見る。萬にして一を識らず。目前の事は或いは存し或いは廢る。千にして一を識らず。太古より今日に至るまで、年數は固より勝げて紀すべからず。但だ伏羲より已來三十餘萬歲、賢愚・好醜・成敗・是非、消滅せざる無し。但だ遲速の間のみ。一時の毀譽を矜り、以て其の神形を焦苦し、死後數百年中の餘名を要むるは、豈に枯骨を潤すに足らんや。何ぞ生を樂しまんや、と。

現代語訳

楊朱は言った。「太古のことは消え失せた。誰がそれを記していよう。三皇のことは、あるようでないようなものだ。五帝のことは、目覚めているようで夢のようだ。三王のことは、隠れたり現れたりする。億のうち一つも分からない。自分の生きているあいだのことは、聞いたり見たりする。万のうち一つも分からない。目の前のことは、残ったり消えたりする。千のうち一つも分からない。太古からいまに至るまで、年数はとうてい数え上げられない。ただ伏羲以来三十余万年のあいだ、賢愚も好醜も成敗も是非も、消え去らないものはない。ただ遅いか速いかの違いがあるだけだ。一時の毀誉を誇って、そのために精神と体を焼き苦しめ、死後数百年のあいだに残る名を求めるのは、どうして枯れた骨を潤すに足りよう。それで生を楽しめようか」。

解説

記憶の残り方を、時間の遠さで段階づけます。億のうち一つ、万のうち一つ、千のうち一つ。目の前のことすら千のうち一つしか分からない。そして三十余万年のあいだ、賢愚も成敗も全部消えた、遅いか速いかの違いだけだ、と。時間の尺度を極端に伸ばすことで、評判を無意味にする論法です。ここで効くのは、目の前のことすら千に一つという指摘のほうかもしれません。私たちは、いま起きていることの大半を知らないまま判断しています。遠い過去だけでなく、今日についても同じだ、と。

この章句が説くこと

億にして一を識らず伏羲より已来三十余万歳消滅せざる無し豈に枯骨を潤すに足らんや

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