列子 / 力命篇
其子弗曉、終謁三醫、一曰矯氏、二曰俞氏、三曰盧氏、診其所疾。矯氏謂季梁曰:「汝寒溫不節、虛實失度、病由飢飽色欲。精慮煩散、非天非鬼。雖漸、可攻也。」季梁曰:「衆醫也。亟屏之!」俞氏曰:「女始則胎氣不足、乳湩有餘。病非一朝一夕之故、其所由來漸矣、弗可已也。」季梁曰:「良醫也。且食之!」盧氏曰:「汝疾不由天、亦不由人、亦不由鬼。稟生受形、既有制之者矣、亦有知之者矣。藥石其如汝何?」季梁曰:「神醫也。重貺遣之!」俄而季梁之疾自瘳。
新字:其子弗暁、終謁三医、一曰矯氏、二曰俞氏、三曰盧氏、診其所疾。矯氏謂季梁曰:「汝寒温不節、虚実失度、病由飢飽色欲。精慮煩散、非天非鬼。雖漸、可攻也。」季梁曰:「衆医也。亟屏之!」俞氏曰:「女始則胎気不足、乳湩有余。病非一朝一夕之故、其所由来漸矣、弗可已也。」季梁曰:「良医也。且食之!」盧氏曰:「汝疾不由天、亦不由人、亦不由鬼。稟生受形、既有制之者矣、亦有知之者矣。薬石其如汝何?」季梁曰:「神医也。重貺遣之!」俄而季梁之疾自瘳。
書き下し
其の子曉らず、終に三醫に謁す。一に矯氏と曰い、二に俞氏と曰い、三に盧氏と曰う。其の疾む所を診す。矯氏季梁に謂いて曰く、汝は寒溫節せず、虛實度を失す。病は飢飽色欲に由る。精慮煩散すればなり。天に非ず鬼に非ず。漸ると雖も、攻むべきなり、と。季梁曰く、衆醫なり。亟かに之を屏けよ、と。俞氏曰く、女始めは則ち胎氣足らず、乳湩餘り有り。病は一朝一夕の故に非ず。其の由りて來たる所漸くなり。已やすべからざるなり、と。季梁曰く、良醫なり。且く之に食わしめよ、と。盧氏曰く、汝の疾は天に由らず、亦た人に由らず、亦た鬼に由らず。生を稟け形を受くるに、既に之を制する者有り、亦た之を知る者有り。藥石其れ汝を如何せん、と。季梁曰く、神醫なり。重く貺して之を遣れ、と。俄かにして季梁の疾自ら瘳ゆ。
現代語訳
その子たちには分からず、とうとう三人の医者を呼んだ。一人を矯氏、二人目を俞氏、三人目を盧氏という。それぞれ病を診た。矯氏は季梁に言った。「あなたは寒暖の調節をせず、虚実の度を失った。病は飢えと満腹、色欲から来ている。精神と思慮が乱れ散ったからだ。天のせいでも鬼のせいでもない。重いとはいえ、治療できる」。季梁は言った。「並みの医者だ。すぐに追い出せ」。俞氏は言った。「あなたは生まれつき胎内の気が足りず、乳が多すぎた。病は一朝一夕のものではない。その来歴は徐々に積み重なったものだ。治すことはできない」。季梁は言った。「よい医者だ。食事を出してやれ」。盧氏は言った。「あなたの病は天によるものでも、人によるものでも、鬼によるものでもない。生を受け形を受けたときに、すでにそれを定めるものがあり、それを知るものがある。薬や鍼があなたをどうできようか」。季梁は言った。「神の医者だ。厚く贈り物をして帰らせよ」。まもなく季梁の病はひとりでに治った。
解説
この章句が説くこと
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