列子 / 力命篇
楊朱之友曰季梁。季梁得病、七日大漸。其子環而泣之、請醫。季梁謂楊朱曰:「吾子不肖如此之甚、汝奚不爲我歌以曉之?」楊朱歌曰:「天其弗識、人胡能覺?匪祐自天、弗孽由人。我乎汝乎、其弗知乎!醫乎巫乎、其知之乎?」
新字:楊朱之友曰季梁。季梁得病、七日大漸。其子環而泣之、請医。季梁謂楊朱曰:「吾子不肖如此之甚、汝奚不為我歌以暁之?」楊朱歌曰:「天其弗識、人胡能覚?匪祐自天、弗孽由人。我乎汝乎、其弗知乎!医乎巫乎、其知之乎?」
書き下し
楊朱の友を季梁と曰う。季梁病を得、七日にして大いに漸る。其の子環りて之を泣き、醫を請う。季梁楊朱に謂いて曰く、吾が子の不肖なること此くの如く之れ甚だし。汝奚ぞ我が爲に歌いて以て之を曉さざる、と。楊朱歌いて曰く、天も其れ識らず、人胡ぞ能く覺らん。祐は天よりするに匪ず、孽は人に由るに弗ず。我か汝か、其れ知らざらんか。醫か巫か、其れ之を知らんか、と。
現代語訳
楊朱の友を季梁という。季梁は病にかかり、七日でひどく重くなった。その子たちが取り囲んで泣き、医者を呼ぼうとした。季梁は楊朱に言った。「わが子たちのふつつかさは、これほどひどい。あなたは私のために歌って、彼らに分からせてくれないか」。楊朱は歌って言った。「天でさえ知らないのに、人にどうして分かろう。助けは天から来るのでもなく、災いは人によるのでもない。私かお前か、それも分からない。医者か巫女か、彼らに分かるだろうか」。
解説
死にかけている本人が、泣いている子どもたちを「ふつつか」と評し、友人に歌で諭してくれと頼む。医者を呼ぼうとする行為自体を、彼は誤りだと考えています。楊朱の歌の内容も徹底しています。天も知らない、人も分からない、助けは天からでも人からでもない、医者も巫女も分からない。すべての因果を否定する歌です。ここまでくると冷酷にも見えますが、季梁が守ろうとしたのは、原因を探すのをやめることでした。原因を探せば、必ず誰かの落ち度になる。次の段で三人の医者が来て、それぞれ別の診断を下します。三人の言葉が、そのまま三種類の原因論になっています。
この章句が説くこと
天も其れ識らず人胡ぞ能く覚らん祐は天よりするに匪ず孽は人に由るに弗ず医か巫か其れ之を知らんか
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