列子 / 力命篇
鮑叔牙謂桓公曰:「管夷吾能、可以治國。」桓公曰:「我讐也、願殺之。」鮑叔牙曰:「吾聞賢君無私怨、且人能爲其主、亦必能爲人君。如欲霸王、非夷吾其弗可。君必舍之!」遂召管仲。魯歸之、齊鮑叔牙郊迎、釋其囚。桓公禮之、而位於高國之上、鮑叔牙以身下之、任以國政、號曰仲父。桓公遂霸。
新字:鮑叔牙謂桓公曰:「管夷吾能、可以治国。」桓公曰:「我讐也、願殺之。」鮑叔牙曰:「吾聞賢君無私怨、且人能為其主、亦必能為人君。如欲覇王、非夷吾其弗可。君必舎之!」遂召管仲。魯帰之、斉鮑叔牙郊迎、釈其囚。桓公礼之、而位於高国之上、鮑叔牙以身下之、任以国政、号曰仲父。桓公遂覇。
書き下し
鮑叔牙桓公に謂いて曰く、管夷吾は能なり。以て國を治むべし、と。桓公曰く、我が讐なり。之を殺さんことを願う、と。鮑叔牙曰く、吾聞く、賢君に私怨無し、と。且つ人能く其の主の爲にせば、亦た必ず能く人君の爲にせん。如し霸王たらんと欲せば、夷吾に非ざれば其れ可ならず。君必ず之を舍せ、と。遂に管仲を召す。魯之を歸し、齊の鮑叔牙郊に迎え、其の囚を釋く。桓公之を禮し、而して高・國の上に位せしむ。鮑叔牙身を以て之に下り、任ずるに國政を以てし、號して仲父と曰う。桓公遂に霸たり。
現代語訳
鮑叔牙は桓公に言った。「管夷吾は有能です。国を治めさせることができます」。桓公は言った。「あれはわしの仇だ。殺したい」。鮑叔牙は言った。「私はこう聞いております。賢い君主に私的な恨みはない、と。それに、人が自分の主君のために働けたのなら、必ずあなたのためにも働けます。もし覇者となろうとお思いなら、夷吾でなければなりません。君はぜひ彼を許してください」。そこで管仲が召し出された。魯が彼を送り返し、斉では鮑叔牙が郊外まで出迎えて、囚われを解いた。桓公は彼を礼遇し、高氏・国氏の名門より上の位に就けた。鮑叔牙は自ら身を下に置き、国政を任せ、仲父と呼んだ。桓公はついに覇者となった。
解説
鮑叔牙の説得が二段構えです。まず「賢君に私怨なし」と、相手の自己像に訴える。次に「主君のために働けた者は、あなたのためにも働ける」と、危害を能力の証拠に読み替える。管仲が小白を射たことを、忠誠の証明として使っている。反論の余地がありません。そして鮑叔牙は、自分より上の位に置き、自ら下に立ちました。推薦した人が自分を追い越すのを、設計として受け入れている。人を推すとき、たいていは自分の下か横に置ける人を推します。上に置ける人を推せるかどうかが、この話の分かれ目です。
この章句が説くこと
賢君に私怨無し人能く其の主の為にせば亦た必ず能く人君の為にせん鮑叔牙身を以て之に下る人材登用適材適所委任
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