史記 / 穰侯列伝
魏冉舉白起、使代向壽將而攻韓魏、敗之伊闕、斬首二十四萬、虜魏將公孫喜。明年、又取楚之宛葉。魏冉謝病免相、以客卿壽燭為相。其明年、燭免、復相冉、乃封魏冉於穰、復益封陶、號曰穰侯。
新字:魏冉舉白起、使代向寿将而攻韓魏、敗之伊闕、斬首二十四万、虜魏将公孫喜。明年、又取楚之宛葉。魏冉謝病免相、以客卿寿燭為相。其明年、燭免、復相冉、乃封魏冉於穰、復益封陶、号曰穰侯。
書き下し
魏冉、白起を挙げ、向壽に代へて将として韓・魏を攻めしめ、之を伊闕に敗り、斬首二十四万、魏の将公孫喜を虜にす。明年、又楚の宛・葉を取る。魏冉、病と謝して相を免ぜられ、客卿壽燭を以て相と為す。其の明年、燭免ぜられ、復た冉を相とし、乃ち魏冉を穰に封じ、復た益々陶に封じ、号して穰侯と曰ふ。
現代語訳
「無名の人材を見出し、最適な地位に据えて成果を出す」——人材登用の眼力が、組織に絶大な戦果をもたらすことを示す一段です。魏冉の最大の功績の一つは、白起という当時まだ知られていなかった将を抜擢し、それまでの将(向壽)に代えて軍を任せたことです。その結果、白起は伊闕の戦いで韓・魏の連合軍を破り、二十四万もの首を斬るという歴史的大勝利を挙げ、翌年には楚の要地も奪いました。白起は後に、秦の天下統一を軍事面で支える最大の名将となります。その才能を、無名の段階で見抜いて登用したのが魏冉でした。ここに、リーダーの最も重要な仕事の一つが示されています。それは、自分ですべてをこなすことではなく、優れた人材を見出し、その人が最も力を発揮できる場所(白起なら軍の総指揮)に据えることです。組織の成果の多くは、トップ個人の能力以上に、「誰を、どこに配置するか」という登用の判断で決まります。まだ実績のない人材の潜在能力を見抜き、思い切って要職に抜擢できるか——この目利きと決断が、組織の飛躍を生む。魏冉の権勢の基盤は、単なる外戚の地位ではなく、こうした人を見出し活かす実力にもあったのです。なお、この功績で魏冉は穰・陶の地に封ぜられ「穰侯」となり、権勢の絶頂へ向かいますが、その封地(陶)が後に私利拡大の舞台となります。