列子 / 湯問篇
終北之北有溟海者、天池也、有魚焉、其廣數千里、其長稱焉、其名爲鯤。有鳥焉、其名爲鵬、翼若垂天之雲、其體稱焉。世豈知有此物哉?大禹行而見之、伯益知而名之、夷堅聞而志之。
新字:終北之北有溟海者、天池也、有魚焉、其広数千里、其長称焉、其名為鯤。有鳥焉、其名為鵬、翼若垂天之雲、其体称焉。世豈知有此物哉?大禹行而見之、伯益知而名之、夷堅聞而志之。
書き下し
終北の北に溟海なる者有り。天池なり。魚有り、其の廣さ數千里、其の長さ焉に稱う。其の名を鯤と爲す。鳥有り、其の名を鵬と爲す。翼は垂天の雲の若く、其の體焉に稱う。世豈に此の物有るを知らんや。大禹行きて之を見、伯益知りて之に名づけ、夷堅聞きて之を志す。
現代語訳
終北の北に溟海というものがある。天の池である。そこに魚がいて、その幅は数千里、長さもそれに見合っている。名を鯤という。また鳥がいて、名を鵬という。翼は天から垂れる雲のようで、体もそれに見合っている。世の人がどうしてこんな物がいると知ろうか。大禹が行ってこれを見、伯益が知ってこれに名をつけ、夷堅が聞いてこれを書き留めた。
解説
鯤と鵬の話は荘子の冒頭でも有名ですが、ここには荘子にない一行が付いています。大禹が見て、伯益が名づけて、夷堅が書き留めた。三人の役割が分かれている。見る人、名づける人、記録する人。どれが欠けても、この知識は残りませんでした。見ただけでは伝わらず、名がなければ扱えず、書き留めなければ消える。組織の知識も同じ経路をたどります。現場で誰かが見た。それに名前がついた。誰かが書いた。この三つを一人でやろうとして、結局どれも残らないことが多い。見た人が書くとはかぎらない、という前提で仕組みを作るほうが現実的です。
この章句が説くこと
鯤・鵬翼は垂天の雲の若し大禹行きて之を見伯益知りて之に名づけ夷堅聞きて之を志す
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