荘子 / 外物
仲尼曰:「神龜能見夢於元君而不能避余且之網;知能七十二鑽而無遺筴,不能避刳腸之患。如是,則知有所困,神有所不及也。雖有至知,萬人謀之。魚不畏網而畏鵜鶘。去小知而大知明,去善而自善矣。」嬰兒生無石師而能言,與能言者處也。
新字:仲尼曰:「神亀能見夢於元君而不能避余且之網;知能七十二鑽而無遺筴,不能避刳腸之患。如是,則知有所困,神有所不及也。雖有至知,万人謀之。魚不畏網而畏鵜鶘。去小知而大知明,去善而自善矣。」嬰児生無石師而能言,与能言者処也。
書き下し
仲尼曰く、「神亀は能く夢を元君に見(あら)わすも、而も余且の網を避くる能わず。知は能く七十二鑽して遺筴無きも、腸を刳(さ)かるるの患いを避くる能わず。是(かく)の如くんば、則ち知にも困しむ所有り、神にも及ばざる所有り。至知有りと雖も、万人之を謀る。魚は網を畏れずして鵜鶘(ていこ)を畏る。小知を去りて大知明らかなり。善を去りて自ら善なり」と。嬰児生まれて石師(せきし)無くして能く言うは、能く言う者と処ればなり。
現代語訳
孔子は言った。「神亀は、元君の夢に現れることはできたが、余且の網を避けることはできなかった。その知恵は七十二回占って一度も外さなかったが、腹を裂かれる災いは避けられなかった。こう見てくると、知恵にも行き詰まるところがあり、霊力にも及ばないところがある。至高の知恵があっても、万人が寄ってたかって謀れば、かなわない。魚は網を恐れず、ペリカンを恐れる。小さな知恵を捨てれば、大きな知恵が明らかになる。善を捨てれば、おのずと善になる」。赤子が生まれて、教師もいないのに言葉を話せるようになるのは、話せる者のそばにいるからだ。
解説
「魚は網を恐れず、ペリカンを恐れる」。この一句が鋭い一段です。魚が本当に恐れるべきは網なのに、目に見える天敵ばかりを恐れている。私たちも、目の前の分かりやすい脅威に気を取られて、本当の危険を見落とします。そして最後の一句が美しい。赤子が言葉を話せるようになるのは、教師がいるからではなく、話せる人のそばにいるからだ。教えるのではなく、そばにいる。それが最も深い学びなのです。
この章句が説くこと
魚不畏網而畏鵜鶘本当の危険そばにいることが教える去小知而大知明
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