孔子家語 / 辯物
郯子朝魯,魯人問曰:「少昊氏以鳥名官,何也?」對曰:「吾祖也,我知之。昔黃帝以雲紀官,故為雲師而雲名。炎帝以火,共工以水,大昊以龍;其義一也。我高祖,少昊摯之立也。鳳鳥適至,是以紀之於鳥,故為鳥師而鳥名。自顓頊氏以來,不能紀遠,乃紀於近。為民師而命以民事,則不能故也。」孔子聞之,遂見郯子而學焉。既而告人曰:「吾聞之天子失官,學在四夷猶信。」
新字:郯子朝魯,魯人問曰:「少昊氏以鳥名官,何也?」対曰:「吾祖也,我知之。昔黄帝以雲紀官,故為雲師而雲名。炎帝以火,共工以水,大昊以竜;其義一也。我高祖,少昊摯之立也。鳳鳥適至,是以紀之於鳥,故為鳥師而鳥名。自顓頊氏以来,不能紀遠,乃紀於近。為民師而命以民事,則不能故也。」孔子聞之,遂見郯子而学焉。既而告人曰:「吾聞之天子失官,学在四夷猶信。」
書き下し
郯子、魯に朝す。魯人問いて曰わく、「少昊氏鳥を以て官に名づくるは、何ぞや。」対えて曰わく、「吾が祖なり、我之れを知る。昔黄帝雲を以て官を紀す、故に雲師と為して雲もて名づく。炎帝は火を以てし、共工は水を以てし、大昊は龍を以てす。其の義一なり。我が高祖、少昊摯の立つや、鳳鳥適々至る、是を以て之れを鳥に紀す。故に鳥師と為して鳥もて名づく。顓頊氏より以来、遠きを紀すること能わず、乃ち近きに紀す。民師と為して民事を以て命ず、則ち能わざるが故なり。」孔子之れを聞き、遂に郯子に見えて学ぶ。既にして人に告げて曰わく、「吾之れを聞く、天子官を失えば、学は四夷に在りて猶お信なりと。」
現代語訳
郯子が魯に参朝した。魯の人が尋ねた。「少昊氏が鳥の名で官職を名づけたのは、なぜですか。」郯子は答えた。「それは私の祖先のことです、私はよく知っています。昔、黄帝は雲によって官職を記録・分類したので、雲師と称し雲の名で呼びました。炎帝は火を、共工は水を、大昊は龍を用いました。その考え方はみな同じです。私の高祖である少昊摯が即位したとき、ちょうど鳳凰が飛来しました。そこで鳥によって官職を記録・分類し、鳥師と称して鳥の名で呼んだのです。顓頊氏以降は、遠大なものによって記録することができなくなり、身近なものによって記録するようになりました。民を治める官を、民の日常の仕事にちなんで命名するようになったのは、遠大なものを扱う力がなくなったからです。」孔子はこれを聞き、そこで郯子に会って教えを学んだ。その後、人に語って言った。「私はこう聞いている。天子のもとで官職の名の由来(古い学問)が失われても、学問は四方の異民族の中にこそ、なお正しく伝わっているものだ、と。」
解説

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『春秋左氏伝』昭公十七年 天子官を失えば学は四夷に在り秋、郯子來朝す。公之と宴す。昭子焉に問ひて曰く、「少皞氏鳥もて官に名づくるは、何の故ぞや」と。郯子曰く、「吾が祖なり。我之を知る。昔者黃帝氏は雲を以て紀す。故に雲師と為して雲もて名づく。炎帝氏は火を以て紀す。故に火師と為して火もて名づく。共工氏は水を以て紀す。故に水師と為して水もて名づく。大皞氏は龍を以て紀す。故に龍師と為して龍もて名づく。我が高祖少皞摯の立つや、鳳鳥適(たまたま)至る。故に鳥に紀し、鳥師と為して鳥もて名づく。鳳鳥氏は歷正なり。玄鳥氏は分を司る者なり。伯趙氏は至を司る者なり。青鳥氏は啟を司る者なり。丹鳥氏は閉を司る者なり。祝鳩氏は司徒なり。鴡鳩氏は司馬なり。鳲鳩氏は司空なり。爽鳩氏は司寇なり。鶻鳩氏は司事なり。五鳩は、民を鳩(あつ)むる者なり。五雉は五工正と為し、器用を利し、度量を正し、民を夷(たひら)ぐる者なり。九扈は九農正と為し、民を扈(とど)めて淫する無からしむる者なり。顓頊より以來、遠きを紀する能はず、乃ち近きに紀し、民の師と為して命ずるに民事を以てす。則ち能はざるが故なり」と。仲尼之を聞き、郯子に見えて之を學ぶ。既にして人に告げて曰く、「吾之を聞く、『天子官を失へば、學は四夷に在り』と。猶ほ信なり」と。晉侯屠蒯をして周に如かしめ、雒と三塗とに事有らんことを請ふ。萇弘劉子に謂ひて曰く、「客の容猛し。祭に非ざるなり。其れ戎を伐たんか。陸渾氏甚だ楚に睦まじ。必ず是の故なり。君其れ之に備へよ」と。乃ち戎備を警む。
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孔子家語・辯物孔子陳に在り、陳の恵公之れを上館に賓す。時に隼有り、陳侯の庭に集りて死す。楛矢之れを貫き石砮あり、其の長さ尺有咫。恵公人をして隼を持ちて孔子の館に如かしめて問わしむ。孔子曰わく、「隼の来ること遠し、此れ粛慎氏の矢なり。昔武王商に克つや、道を九夷百蛮に信べ、各々其の方の賄を以て来貢せしめて、職業を忘るる無からしむ。是に於て粛慎氏楛矢石砮を貢し、其の長さ尺有咫なり。先王其の令徳の遠物を致すを昭らかにせんと欲し、以て後人に示し、永く鑒みしむ。故に其の栝に銘して曰わく、『粛慎氏楛矢を貢す』と。以て大姫に分ち、胡公に配して諸を陳に封ず。古えは、同姓に分つに珍玉を以てするは、親親を展ぶる所以なり。異姓に分つに遠方の職貢を以てするは、服を忘るる無からしむる所以なり。故に陳に分つに粛慎氏の貢を以てせり。君若し有司をして故府に諸を求めしめば、其れ得可きなり。」公人をして之れを求めしめ、金牘之れの如し。
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史記 孔子世家夫れ名正しからざれば則ち言順はず、言順はざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中らず、刑罰中らざれば則ち民手足を錯く所無し。夫れ君子は之を為せば必ず名づくべく、之を言へば必ず行ふべし。君子は其の言に於て、苟くもする所無きのみ」と。其の明年、冉有季氏の為に師を将ゐ、斉と郎に戦ひ、之に克つ。季康子曰く、「子の軍旅に於けるや、之を学べるか、之を性とせるか」と。冉有曰く、「之を孔子に学べり」と。季康子曰く、「孔子は何如なる人ぞや」と。対へて曰く、「之を用ふれば名有り。之を百姓に播き、諸を鬼神に質すも憾み無し。求の此の道に至るを求むれば、千社を累ぬと雖も、夫子は利とせざるなり」と。康子曰く、「我之を召さんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「之を召さんと欲せば、則ち小人を以て之を固むること毋くんば、則ち可なり」と。而して衛の孔文子将に太叔を攻めんとし、策を仲尼に問ふ。仲尼辞して知らずとし、退きて載することを命じて行き、曰く、「鳥は能く木を択ぶ、木豈に能く鳥を択ばんや」と。文子固く止む。会々季康子公華・公賓・公林を逐ひ、幣を以て孔子を迎ふ、孔子魯に帰る。孔子の魯を去ること凡そ十四歳にして魯に反る。魯の哀公政を問ふ、対へて曰く、「政は臣を選ぶに在り」と。季康子政を問ふ、曰く、「直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、則ち枉れる者直し」と。康子盗を患ふ、孔子曰く、「苟も子の欲せざれば、之を賞すと雖も窃まず」と。然れども魯終に孔子を用ふる能はず、孔子も亦た仕ふるを求めず。孔子の時、周室微にして礼楽廃れ、詩書缺く。三代の礼を追跡し、書伝を序し、上は唐虞の際を紀し、下は秦繆に至るまで、其の事を編次す。曰く、「夏の礼は吾能く之を言へども、杞は徴とするに足らざるなり。殷の礼は吾能く之を言へども、宋は徴とするに足らざるなり。足らば、則ち吾能く之を徴とせん」と。殷夏の損益する所を観て、曰く、「後百世と雖も知るべきなり、一文一質を以てす。周は二代に監みる、郁郁乎として文なるかな。
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孔子家語・五帝康子曰わく、「吾聞く、句芒を木正と為し、祝融を火正と為し、蓐收を金正と為し、玄冥を水正と為し、后土を土正と為す、と。此れ則ち五行の主なるに、乱れて帝と称せざるは、何ぞや。」孔子曰わく、「凡そ五正なる者は、五行の官名なり。五行は上帝を佐け成して五帝と称す。太皞の属これに配し、亦た帝と云うは、その号に従うなり。昔、少皞氏の子に四叔有り、重と曰い、該と曰い、修と曰い、熙と曰う。実に金・木及び水に能す。重をして勾芒と為さしめ、該をして蓐收と為さしめ、修及び熙をして玄冥と為さしむ。顓頊氏の子は黎と曰い、祝融と為る。共工氏の子は、勾龍と曰い、后土と為る。此の五者、各々その能くする所の業を以て官職と為す。生きては上公と為り、死しては貴神と為り、別に五祀と称し、帝と同じきを得ず。」
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孔子家語・五帝季康子、孔子に問いて曰わく、「旧く五帝の名を聞くも、その実を知らず。請う問う、何をか五帝と謂うや。」孔子曰わく、「昔丘や諸を老聃に聞く、曰わく、『天に五行有り、水火金木土、時を分かちて化育し、以て万物を成す。』その神をこれ五帝と謂う。古の王者、代を易えて号を改め、法を五行に取る。五行更わる更わる王たり、終始相生じ、亦たその義に象る。故にその明王たる者、死して五行に配す、ここを以て太皞は木に配し、炎帝は火に配し、黄帝は土に配し、少皞は金に配し、顓頊は水に配す。」
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孔子家語・辯政齊に一足の鳥有り、飛びて宮朝に集まり、下りて殿前に止まり、翅を舒べて跳る。齊侯大いに之を怪しみ、使いをして魯に聘わしめ、孔子に問う。孔子曰わく、「此の鳥名づけて商羊と曰う、水祥なり。昔童兒其の一腳を屈むる有り、兩眉を振訊わせ、跳りて且つ謠いて曰わく、『天將に大雨ふらんとす、商羊鼓舞す。』と。今齊之有り、其の應至れり。」急ぎ民に告げて溝渠を治め、堤防を修めしめ、將に大水の災を為さんとするに趨かしむ。頃之にして大霖雨あり、水溢れて諸國に泛れ、民人を傷害す。唯だ齊のみ備え有りて、敗れず。景公曰わく、「聖人の言、信にして征あり。」