列子 / 仲尼篇
公子牟變容曰:「何子狀公孫龍之過歟?請聞其實。」子輿曰:「吾笑龍之詒孔穿、言『善射者能令後鏃中前括、發發相及、矢矢相屬、前矢造準而無絕落、後矢之括猶銜弦、視之若一焉。』孔穿駭之。龍曰:『此未其妙者。逢蒙之弟子曰鴻超、怒其妻而怖之。引烏號之弓、綦衛之箭、射其目。矢來注眸子而眶不睫、矢隧地而塵不揚。』是豈智者之言與?」公子牟曰:「智者之言固非愚者之所曉。後鏃中前括、鈞後於前。矢注眸子而眶不睫、盡矢之勢也。子何疑焉?」
新字:公子牟変容曰:「何子状公孫竜之過歟?請聞其実。」子輿曰:「吾笑竜之詒孔穿、言『善射者能令後鏃中前括、発発相及、矢矢相属、前矢造準而無絶落、後矢之括猶銜弦、視之若一焉。』孔穿駭之。竜曰:『此未其妙者。逢蒙之弟子曰鴻超、怒其妻而怖之。引烏号之弓、綦衛之箭、射其目。矢来注眸子而眶不睫、矢隧地而塵不揚。』是豈智者之言与?」公子牟曰:「智者之言固非愚者之所暁。後鏃中前括、鈞後於前。矢注眸子而眶不睫、尽矢之勢也。子何疑焉?」
書き下し
公子牟容を變じて曰く、何ぞ子は公孫龍の過ちを狀るか。請う其の實を聞かん、と。子輿曰く、吾は龍の孔穿を詒くを笑う。言えらく、善く射る者は能く後の鏃をして前の括に中たらしむ。發發相い及び、矢矢相い屬く。前の矢は準に造りて絕落する無く、後の矢の括は猶お弦を銜む。之を視れば一の若し、と。孔穿之に駭く。龍曰く、此れ未だ其の妙なる者ならず。逢蒙の弟子に鴻超と曰う者あり。其の妻に怒りて之を怖れしむ。烏號の弓、綦衛の箭を引きて、其の目を射る。矢來たりて眸子に注ぐも眶は睫かず、矢地に隧ちて塵も揚がらず、と。是れ豈に智者の言ならんや、と。公子牟曰く、智者の言は固より愚者の曉る所に非ず。後の鏃の前の括に中たるは、後を前に鈞しくすればなり。矢の眸子に注ぐも眶の睫かざるは、矢の勢いを盡くせばなり。子何ぞ疑わんや、と。
現代語訳
公子牟は顔色を改めて言った。「あなたはどうして公孫龍の過ちをそう言い立てるのか。その実際を聞かせてほしい」。子輿は言った。「私は龍が孔穿をたぶらかしたのを笑ったのだ。彼はこう言った。射の名人は、あとの矢の鏃を前の矢の筈に中てることができる。次々と放って続けざまに届き、矢と矢がつながる。前の矢は的に届いて落ちることがなく、あとの矢の筈はまだ弦をくわえている。見れば一本の線のようだ、と。孔穿は驚いた。龍は言った。これはまだ妙技ではない。逢蒙の弟子に鴻超という者がいた。妻に腹を立てて脅そうとし、烏号の弓に綦衛の矢をつがえて、その目を射た。矢は飛んできて瞳に届いたが、まぶたは瞬きもせず、矢は地に落ちたが塵も立たなかった、と。これがどうして知者の言葉であろうか」。公子牟は言った。「知者の言葉は、もとより愚か者に分かるものではない。あとの矢の鏃が前の矢の筈に中たるのは、あとの矢を前の矢と等しくしたからだ。矢が瞳に届いてまぶたが瞬かないのは、矢の勢いが尽きたからだ。あなたは何を疑うのか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』仲尼篇中山の公子牟は、魏國の賢公子なり。賢人と游ぶを好み、國事を恤えず。而して趙人公孫龍を悅ぶ。樂正子輿の徒之を笑う。公子牟曰く、子何ぞ牟の公孫龍を悅ぶを笑うか、と。子輿曰く、公孫龍の人と爲りや、行いに師無く、學に友無し。佞給にして中らず、漫衍にして家無し。怪を好みて妄言し、人の心を惑わし、人の口を屈せしめんと欲す。韓檀等と之を肄う、と。
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『列子』仲尼篇樂正子輿曰く、子は龍の徒なり。焉んぞ其の闕を飾らざるを得んや。吾又た其の尤なる者を言わん。龍魏王を誑きて曰く、意有るも心あらず、指有るも至らず、物有るも盡きず、影有るも移らず、髮は千鈞を引き、白馬は馬に非ず、孤犢は未だ嘗て母有らず、と。其の類に負き倫に反すること、勝げて言うべからざるなり、と。公子牟曰く、子は至言を諭らずして以て尤と爲す。尤は其れ子に在り。夫れ意無ければ則ち心同じ、指無ければ則ち皆な至る、物を盡くす者は常に有り、影の移らざるは、說は改まるに在り、髮の千鈞を引くは、勢いの至って等しければなり、白馬の馬に非ざるは、形と名と離るればなり、孤犢の未だ嘗て母有らざるは、孤犢に非ざればなり、と。樂正子輿曰く、子は公孫龍の鳴を以て皆な條なりと爲す。設い餘竅より發せしむとも、子も亦た將に之を承けんとす、と。公子牟默然たること良や久しく、退くを告げて曰く、請う餘日を待ちて、更めて子に謁して論ぜん、と。
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孟子・離婁章句下逄蒙、射を羿に學ぶ。羿の道を盡くし、思えらく、天下惟だ羿のみ己に愈れりと為すと。是に於て羿を殺せり。孟子曰く、「是れ亦た羿も罪有り。」公明儀曰く、「宜ど罪無きが若し。」曰く、「薄しと云うのみ。惡んぞ罪無きを得ん。鄭人、子濯孺子をして衛を侵さしむ。衛、庾公之斯をして之を追わしむ。子濯孺子曰く、『今日、我が疾作り、以て弓を執る可からず。吾死なんかな。』其の僕に問いて曰く、『我を追う者は誰ぞや。』其の僕曰く、『庾公之斯なり。』曰く、『吾れ生きん。』其の僕曰く、『庾公之斯は、衛の射を善くする者なり。夫子曰く、吾れ生きんと。何の謂ぞや。』曰く、『庾公之斯は射を尹公之他に學ぶ。尹公之他は射を我に學ぶ。夫れ尹公之他は、端人なり。其の友を取ること必ず端ならん。』庾公之斯至りて曰く、『夫子何為れぞ弓を執らざる。』曰く、『今日、我疾作り、以て弓を執る可からず。』曰く、『小人は射を尹公之他に學び、尹公之他は射を夫子に學ぶ。我、夫子の道を以て、反って夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は、君の事なり。我敢て廢せず。』矢を抽き輪に叩き,其の金を去り、乘矢を發して而る後に反れり。」
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荘子・秋水公孫竜(こうそんりょう)魏牟(ぎぼう)に問いて曰く、「竜は少(わか)くして先生の道を学び、長じて仁義の行に明らかなり。同異を合し、堅白を雑(まじ)え、然らざるを然りとし、不可を可とす。百家の知を困(くる)しめ、衆口の辯を窮む。吾自ら以て至達と為せるのみ。今吾荘子の言を聞き、汒焉(ぼうえん)として之を異とす。知らず、論の及ばざるか、知の若かざるか。今吾吾が喙(くちばし)を開く所無し。敢えて其の方を問わん」と。
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『列子』黄帝篇列禦寇伯昏無人の爲に射る。之を引きて貫に盈たし、杯水を其の肘上に措き、之を發てば、鏑矢復た沓ね、方に矢復た寓く。是の時に當たるや、猶お象人のごとし。伯昏無人曰く、是れ射の射にして、不射の射に非ざるなり。當に汝と高山に登り、危石を履み、百仞の淵に臨まば、若能く射んか、と。是に於いて無人遂に高山に登り、危石を履み、百仞の淵に臨む。背にして逡巡し、足の二分垂れて外に在り。禦寇に揖して之を進ましむ。禦寇地に伏し、汗流れて踵に至る。伯昏無人曰く、夫れ至人なる者は、上は青天を闚い、下は黄泉に潛み、八極に揮斥するも、神氣變ぜず。今汝怵然として恂目の志有り。爾の中つること、殆いかな、と。
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『列子』湯問篇甘蠅は古の善く射る者なり。弓を彀けば獸伏し鳥下る。弟子名は飛衛、射を甘蠅に學び、巧み其の師に過ぐ。紀昌なる者、又た射を飛衛に學ぶ。飛衛曰く、爾先ず瞬かざるを學べ。而る後に射を言うべし、と。紀昌歸り、其の妻の機の下に偃臥し、目を以て牽挺を承く。二年の後、錐の末眥に倒るると雖も、瞬かざるなり。以て飛衛に告ぐ。飛衛曰く、未だしなり。必ず視るを學びて而る後に可なり。小を視ること大の如く、微を視ること著の如くにして、而る後に我に告げよ、と。昌氂を以て虱を牖に懸け、南面して之を望む。旬日の間、浸く大なり。三年の後、車輪の如し。以て餘の物を覩れば、皆な丘山なり。乃ち燕角の弧、朔蓬の簳を以て之を射る。虱の心を貫きて、懸は絕えず。以て飛衛に告ぐ。飛衛高く蹈み膺を拊ちて曰く、汝之を得たり、と。