荘子 / 秋水
公孫龍問於魏牟曰:「龍少學先生之道,長而明仁義之行,合同異,雜堅白,然不然,可不可,困百家之知,窮眾口之辯,吾自以為至達已。今吾聞莊子之言,汒焉異之,不知論之不及與,知之弗若與?今吾無所開吾喙,敢問其方。」
新字:公孫竜問於魏牟曰:「竜少学先生之道,長而明仁義之行,合同異,雑堅白,然不然,可不可,困百家之知,窮衆口之弁,吾自以為至達已。今吾聞荘子之言,汒焉異之,不知論之不及与,知之弗若与?今吾無所開吾喙,敢問其方。」
書き下し
公孫竜(こうそんりょう)魏牟(ぎぼう)に問いて曰く、「竜は少(わか)くして先生の道を学び、長じて仁義の行に明らかなり。同異を合し、堅白を雑(まじ)え、然らざるを然りとし、不可を可とす。百家の知を困(くる)しめ、衆口の辯を窮む。吾自ら以て至達と為せるのみ。今吾荘子の言を聞き、汒焉(ぼうえん)として之を異とす。知らず、論の及ばざるか、知の若かざるか。今吾吾が喙(くちばし)を開く所無し。敢えて其の方を問わん」と。
現代語訳
公孫竜が魏牟に尋ねた。「私は若い頃から先王の道を学び、成長して仁義の行いに通じました。同と異を合わせ、堅と白を混ぜ、そうでないものをそうだとし、不可能を可能だとする。百家の知恵を困らせ、あらゆる論者の弁舌を封じてきました。自分では、これで極みに達したと思っていました。ところが今、荘子の言葉を聞いて、ぼんやりと戸惑っています。私の議論が及ばないのか、それとも知恵が及ばないのか。今の私は、口を開くこともできません。どうか、その理由を教えてください」。
解説
無敵の論客・公孫竜が、荘子の言葉の前で口を開けなくなる一段です。彼は不可能を可能だと言いくるめ、百家の知恵を困らせ、あらゆる論者を封じてきました。議論では負け知らずです。ところが荘子の言葉には、歯が立たない。ここが面白いところで、荘子は議論で勝とうとしていないのです。土俵が違うから、論破のしようがない。私たちも、議論に強い人を見ると、頭が良いと思います。しかし議論に勝つことと、真実に近いことは、まったく別です。勝ち続けてきた人ほど、自分の土俵の外が見えなくなります。
この章句が説くこと
公孫竜議論の無敵と限界土俵が違う論破できないもの
関連する章句
-
荘子・秋水公孫竜口呿(こうきょ)して合わず、舌挙がりて下らず。乃ち逸(に)げて走る。
-
荘子・天下桓団(かんだん)・公孫竜は辯者の徒なり。人の心を飾り、人の意を易(か)え、能く人の口に勝つも、人の心を服する能わず。辯者の囿(かこい)なり。恵施は日に其の知を以て、人と辯じ、特に天下の辯者と与に怪を為す。此れ其の柢(もと)なり。
-
荘子・秋水公子牟(ぼう)机に隠(よ)りて太息し、天を仰ぎて笑いて曰く、「子は独り夫の埳井(かんせい)の鼃(かえる)を聞かずや。東海の鱉(すっぽん)に謂いて曰く、『吾楽しきかな。出でては井幹(せいかん)の上に跳梁(ちょうりょう)し、入りては缺甃(けっしゅう)の崖に休す。水に赴けば則ち腋(わき)に接して頤(おとがい)を持し、泥を蹶(け)れば則ち足を没して跗(あしのこう)を滅す。虷蟹(かんかい)と科斗(かと)とを還(み)るに、吾に能く若(し)くもの莫し。且つ夫れ一壑(いちがく)の水を擅(ほしいまま)にして、埳井の楽しみに跨跱(こじ)す。此も亦た至れり。夫子奚(なん)ぞ時に来たり入り観ざるや』と。東海の鱉、左足未だ入らずして、右膝已に縶(つな)がる。是に於いて逡巡(しゅんじゅん)して卻(しりぞ)き、之に海を告げて曰く、『夫れ千里の遠きも、以て其の大を挙ぐるに足らず。千仞の高きも、以て其の深きを極むるに足らず。禹の時、十年に九たび潦(みずあふ)る。而も水は為に加益せず。湯の時、八年に七たび旱(ひでり)す。而も崖は為に加損せず。夫れ頃久(けいきゅう)の為に推移せず、多少を以て進退せざる者、此も亦た東海の大楽なり』と。是に於いて埳井の鼃之を聞き、適適然(てきてきぜん)として驚き、規規然(ききぜん)として自失せり。且つ夫れ知は是非の竟(さかい)を知らざるに、而も猶お荘子の言を観んと欲す。是れ猶お蚊をして山を負わしめ、商蚷(しょうきょ)をして河を馳せしむるがごとし。必ず任に勝えざらん。且つ夫れ知は極妙の言を論ずるを知らずして、自ら一時の利に適する者は、是れ埳井の鼃に非ずや。且つ彼は方に黄泉を跐(ふ)みて大皇に登り、南無く北無く、奭然(せきぜん)として四解し、不測に淪(しず)む。東無く西無く、玄冥に始まり、大通に反る。子は乃ち規規然として之を求むるに察を以てし、之を索(もと)むるに辯を以てす。是れ直(た)だ管を用いて天を窺い、錐を用いて地を指すなり。亦た小ならずや。子往け。且つ子は独り寿陵(じゅりょう)の余子(よし)の行を邯鄲(かんたん)に学べるを聞かずや。未だ国能を得ずして、又た其の故(もと)の行を失えり。直だ匍匐(ほふく)して帰るのみ。今子去らずんば、将に子の故を忘れ、子の業を失わんとす」と。
-
荘子・秋水秋水時に至り、百川河に灌(そそ)ぐ。涇流(けいりゅう)の大なる、両涘(りょうし)渚崖(しょがい)の間、牛馬を辯(べん)ぜず。是に於いてか河伯(かはく)欣然(きんぜん)として自ら喜び、天下の美を以て尽く己に在りと為す。流れに順いて東行し、北海に至る。東面して視るに、水の端(はし)を見ず。是に於いてか河伯始めて其の面目を旋(めぐ)らし、洋を望みて若(じゃく)に向かいて歎じて曰く、「野語に之れ有り、曰く『道を聞くこと百にして、以て己に若(し)く莫しと為す』とは、我の謂いなり。且つ夫れ我嘗て仲尼の聞を少(すく)なしとして伯夷の義を軽んずる者を聞けり。始め吾は信ぜず。今我子の窮め難きを睹(み)る。吾子の門に至るに非ずんば則ち殆(あや)うからん。吾長(とこ)しえに大方の家に笑わるるならん」と。
-
荘子・秋水荘子恵子と濠梁(ごうりょう)の上に遊ぶ。荘子曰く、「儵魚(しゅうぎょ)出でて遊ぶこと従容(しょうよう)たり。是れ魚の楽しみなり」と。恵子曰く、「子は魚に非ず。安(いず)くんぞ魚の楽しみを知らんや」と。荘子曰く、「子は我に非ず。安くんぞ我の魚の楽しみを知らざるを知らんや」と。恵子曰く、「我は子に非ず。固より子を知らず。子は固より魚に非ざるなり。子の魚の楽しみを知らざること全(まった)し」と。荘子曰く、「請う、其の本に循(したが)わん。子曰く『汝安くんぞ魚の楽しみを知らん』と云う者は、既已(すで)に吾の之を知るを知りて我に問えるなり。我は之を濠上(ごうじょう)に知れるなり」と。
-
『列子』仲尼篇中山の公子牟は、魏國の賢公子なり。賢人と游ぶを好み、國事を恤えず。而して趙人公孫龍を悅ぶ。樂正子輿の徒之を笑う。公子牟曰く、子何ぞ牟の公孫龍を悅ぶを笑うか、と。子輿曰く、公孫龍の人と爲りや、行いに師無く、學に友無し。佞給にして中らず、漫衍にして家無し。怪を好みて妄言し、人の心を惑わし、人の口を屈せしめんと欲す。韓檀等と之を肄う、と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る