列子 / 仲尼篇
公儀伯長息退席、曰:「善哉王之問也!臣敢以實對。臣之師有商丘子者、力無敵於天下、而六親不知、以未嘗用其力故也。臣以死事之。乃告臣曰:『人欲見其所不見、視人所不窺、欲得其所不得、修人所不爲。故學眎者先見輿薪、學聽者先聞撞鐘。夫有易於內者無難於外。於外無難、故名不出其一家。』今臣之名聞於諸侯、是臣違師之教、顯臣之能者也。然則臣之名不以負其力者也、以能用其力者也、不猶愈於負其力者乎?」
新字:公儀伯長息退席、曰:「善哉王之問也!臣敢以実対。臣之師有商丘子者、力無敵於天下、而六親不知、以未嘗用其力故也。臣以死事之。乃告臣曰:『人欲見其所不見、視人所不窺、欲得其所不得、修人所不為。故学眎者先見輿薪、学聴者先聞撞鐘。夫有易於内者無難於外。於外無難、故名不出其一家。』今臣之名聞於諸侯、是臣違師之教、顕臣之能者也。然則臣之名不以負其力者也、以能用其力者也、不猶愈於負其力者乎?」
書き下し
公儀伯長息して席を退き、曰く、善いかな王の問いや。臣敢えて實を以て對えん。臣の師に商丘子なる者有り。力は天下に敵無し。而れども六親も知らず。未だ嘗て其の力を用いざるを以ての故なり。臣死を以て之に事う。乃ち臣に告げて曰く、人は其の見ざる所を見んと欲せば、人の窺わざる所を視よ。其の得ざる所を得んと欲せば、人の爲さざる所を修めよ。故に眎ることを學ぶ者は先ず輿薪を見、聽くことを學ぶ者は先ず撞鐘を聞く。夫れ内に易き有る者は外に難き無し。外に難き無し、故に名は其の一家を出でず、と。今臣の名諸侯に聞こゆるは、是れ臣師の教えに違いて、臣の能を顯わす者なり。然らば則ち臣の名は其の力を負むを以てする者に非ざるなり。能く其の力を用うるを以てする者なり。猶お其の力を負む者に愈らずや、と。
現代語訳
公儀伯は長くため息をついて席を下がり、言った。「よいご質問です。私はあえて事実をもってお答えします。私の師に商丘子という方がいました。力は天下に並ぶ者がない。それでいて身内すら知らなかった。一度もその力を使わなかったからです。私は命がけでその方に仕えました。師は私にこう告げました。人が見えないものを見たいなら、人がのぞかないところを見よ。人が得られないものを得たいなら、人がしないことを修めよ。だから見ることを学ぶ者は、まず車一台ぶんの薪を見る。聞くことを学ぶ者は、まず撞き鐘の音を聞く。内側にたやすいものがある者は、外側に難しいものがない。外に難しいものがないから、その名は一家の外に出ない、と。いま私の名が諸侯にまで聞こえているのは、私が師の教えに背き、自分の能力を表に出してしまったからです。とすれば、私の名は力を誇ったことによるものではなく、力の使い方によるものです。それでも、力を誇る者よりはましではないでしょうか」。
解説
この章句が説くこと
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。
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