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列子 / 仲尼篇

於是列子終身不出、自以爲不知游。壺丘子曰:「游其至乎!至游者、不知所適、至觀者、不知所眂。物物皆游矣、物物皆觀矣、是我之所謂游、是我之所謂觀也。故曰:游其至矣乎、游其至矣乎!」

新字:於是列子終身不出、自以為不知游。壺丘子曰:「游其至乎!至游者、不知所適、至観者、不知所眂。物物皆游矣、物物皆観矣、是我之所謂游、是我之所謂観也。故曰:游其至矣乎、游其至矣乎!」

書き下し

是に於いて列子終身出でず、自ら以て游を知らずと爲す。壺丘子曰く、游は其れ至れるかな。至游なる者は、適く所を知らず。至觀なる者は、眂る所を知らず。物物皆な游なり、物物皆な觀なり。是れ我の所謂游なり、是れ我の所謂觀なり。故に曰く、游は其れ至れるかな、游は其れ至れるかな、と。

現代語訳

そこで列子は生涯家を出なくなり、自分は旅というものを知らないのだと思った。壺丘子は言った。「それこそ旅の極みだ。至った旅というのは、どこへ行くのか自分でも分からない。至った観というのは、何を見ているのか自分でも分からない。物という物がみな旅であり、物という物がみな観である。それが私の言う旅であり、それが私の言う観である。だから言うのだ、旅こそ至れるかな、旅こそ至れるかな、と」。

解説

外に求める旅を戒められた列子は、家から一歩も出なくなりました。極端です。ところが師は、それを否定せずに「それこそ旅の極みだ」と言う。ただし理由が違います。出ないことがよいのではなく、どこへ行くか分からず、何を見ているか分からない状態こそが旅だ、と。行き先を決めて出かけるものだけが旅ではない、という定義の拡張です。そして「物物皆な游なり」――どの物もみな旅である。ここまで来ると、出るか出ないかの議論自体が消えます。指導のかたちとしても学ぶところがあります。極端に振れた弟子を戻すのではなく、その位置から見える景色を言葉にして与えている。否定せずに位置を変える教え方です。

この章句が説くこと

至游なる者は適く所を知らず物物皆な游なり物物皆な観なり游は其れ至れるかな

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