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列子 / 黄帝篇

嘗又與來!」明日、又與之見壺子。出而謂列子曰:「幸矣、子之先生遇我也、有瘳矣。灰然有生矣、吾見杜權矣。」列子入告壺子。壺子曰:「向吾示之以天壤、名實不入、而機發於踵、此爲杜權。是殆見吾善者幾也。

新字:嘗又与来!」明日、又与之見壺子。出而謂列子曰:「幸矣、子之先生遇我也、有瘳矣。灰然有生矣、吾見杜権矣。」列子入告壺子。壺子曰:「向吾示之以天壤、名実不入、而機発於踵、此為杜権。是殆見吾善者幾也。

書き下し

嘗た又た與に來たれ、と。明日、又た之と壺子に見ゆ。出でて列子に謂いて曰く、幸いなり、子の先生我に遇えるや、瘳ゆること有り。灰然として生有り。吾杜權を見たり、と。列子入りて壺子に告ぐ。壺子曰く、向に吾之に示すに天壤を以てす。名實入らずして、機は踵より發す。此れを杜權と爲す。是れ殆ど吾が善なる者の幾を見たるならん。

現代語訳

「もう一度連れてきなさい」。翌日、また季咸を連れて壺子に会わせた。季咸は出てきて列子に言った。「幸運でしたね、あなたの先生が私に会われたのは。よくなっています。灰のようだったところに生気が出ている。閉ざしていたものが動くきざしを見ました」。列子は部屋に入って壺子に伝えた。壺子は言った。「さっき私は彼に天と地の相を見せた。名も実もこちらに入り込まず、はたらきは踵から発している。これを閉ざしたものが動くという。彼はおそらく、私の善いきざしだけを見たのだろう」。

解説

二度目、占い師は前言をひるがえします。しかも「私に会ったのが幸運でした」と、自分の手柄めいた言い方をする。ここが人間くさい。予測が外れたのではなく、自分が介入して変えたのだ、という物語に組み替えています。専門家が自分の判断の変更を説明するとき、しばしばこの形をとります。前提が変わったのではなく、私が関与したから変わった、と。壺子の側から見れば、単に見せるものを変えただけです。相手の解釈がこちらの意図と無関係に組み上がっていくさまが、二度目にしてはっきりします。人からの評価が上がったとき、その理由が本当に自分の変化なのかは、案外わかりません。

この章句が説くこと

灰然として生有り天壤を示す名実入らず機は踵より発す杜権

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