列子 / 黄帝篇
夫醉者之墜於車也、雖疾不死。骨節與人同、而犯害與人異、其神全也。乘亦弗知也、墜亦弗知也。死生驚懼不入乎其胸、是故遌物而不慴。彼得全於酒而猶若是、而況得全於天乎?聖人藏於天、故物莫之能傷也。」
新字:夫酔者之墜於車也、雖疾不死。骨節与人同、而犯害与人異、其神全也。乗亦弗知也、墜亦弗知也。死生驚懼不入乎其胸、是故遌物而不慴。彼得全於酒而猶若是、而況得全於天乎?聖人蔵於天、故物莫之能傷也。」
書き下し
夫れ醉える者の車より墜つるや、疾しと雖も死せず。骨節は人と同じくして、害を犯すこと人と異なるは、其の神全ければなり。乘るも亦た知らざるなり、墜つるも亦た知らざるなり。死生驚懼、其の胸に入らず。是の故に物に遌いて慴れず。彼酒に全きを得て猶お是くの若し。而るを況んや天に全きを得たる者をや。聖人は天に藏る、故に物の能く傷る莫きなり、と。
現代語訳
酔っぱらいが車から落ちるとき、勢いは激しくても死なない。骨も関節も他の人と同じなのに、受ける害が違うのは、その精神が完全だからである。車に乗ったことも知らず、落ちたことも知らない。死や生や驚きや恐れが胸に入り込まない。だから物にぶつかっても怯えない。あの男は酒によって完全さを得ただけで、これほどである。まして天によって完全さを得た者ならどうであろう。聖人は天のうちに隠れている。だから何ものも傷つけることができないのだ。
解説
酔って落ちても死なない、という誰でも知っている話を、そのまま論拠にしています。骨は同じなのに、結果が違う。理由は、乗ったことも落ちたことも知らないから。つまり身構えないから壊れないという話です。ここには実務的な含意があります。恐れが入ると体は固くなり、固くなったところから折れる。危機のさなかに硬直した組織が壊れやすいのも同じ形です。ただし関尹は、酒を勧めているのではありません。酒で得られる程度の全さでこれほどなら、天から得た全さならどうか、と話を進めます。無自覚と、自覚したうえでの無心は違う。前者は事故で、後者は境地です。経営者が目指すのは当然後者ですが、まずは自分が身構えて硬くなる場面を見つけるところからです。
この章句が説くこと
酔える者の車より墜つる其の神全ければなり聖人は天に蔵る物の能く傷る莫し
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