列子 / 天瑞篇
向氏以國氏之謬己也、往而怨之。國氏曰:「若爲盜若何?」向氏言其狀。國氏曰:「嘻!若失爲盜之道至此乎?今將告若矣。吾聞天有時、地有利。吾盜天地之時利、雲雨之滂潤、山澤之產育、以生吾禾、殖吾稼、築吾垣、建吾舍。陸盜禽獸、水盜魚鼈、亡非盜也。夫禾稼、土木、禽獸、魚鼈、皆天之所生、豈吾之所有?然吾盜天而亡殃。夫金玉珍寶、穀帛財貨、人之所聚、豈天之所與?若盜之而獲罪、孰怨哉?」
新字:向氏以国氏之謬己也、往而怨之。国氏曰:「若為盗若何?」向氏言其状。国氏曰:「嘻!若失為盗之道至此乎?今将告若矣。吾聞天有時、地有利。吾盗天地之時利、雲雨之滂潤、山沢之産育、以生吾禾、殖吾稼、築吾垣、建吾舎。陸盗禽獣、水盗魚鼈、亡非盗也。夫禾稼、土木、禽獣、魚鼈、皆天之所生、豈吾之所有?然吾盗天而亡殃。夫金玉珍宝、穀帛財貨、人之所聚、豈天之所与?若盗之而獲罪、孰怨哉?」
書き下し
向氏は國氏の己を謬らしめたりと以い、往きて之を怨む。國氏曰く、若の盜を爲すこと若何、と。向氏其の狀を言う。國氏曰く、嘻、若は盜を爲すの道を失うこと此に至れるか。今將に若に告げん。吾聞く、天に時有り、地に利有り、と。吾は天地の時利、雲雨の滂潤、山澤の產育を盜みて、以て吾が禾を生じ、吾が稼を殖え、吾が垣を築き、吾が舍を建つ。陸には禽獸を盜み、水には魚鼈を盜む。盜に非ざるは亡し。夫れ禾稼・土木・禽獸・魚鼈は、皆な天の生ずる所なり。豈に吾の有する所ならんや。然れども吾は天を盜みて殃い亡し。夫れ金玉珍寶、穀帛財貨は、人の聚むる所なり。豈に天の與うる所ならんや。若之を盜みて罪を獲るは、孰をか怨まんや、と。
現代語訳
向氏は国氏が自分を誤らせたのだと思い、出かけていって恨みごとを言った。国氏は言った。「おまえの盗み方はどういうものだったのか」。向氏がありさまを話した。国氏は言った。「ああ、おまえは盗むという道をそこまで取り違えたのか。では今こそ教えよう。私はこう聞いている、天には時があり、地には利がある、と。私は天地の時と利、雲や雨の潤い、山や沢が生み育てるものを盗んで、それで稲を育て、作物を植え、垣根を築き、家を建てた。陸では鳥や獣を盗み、水では魚やすっぽんを盗む。盗みでないものはない。そもそも作物も土や木も鳥獣も魚も、みな天が生んだものだ。どうして私の持ち物であろうか。それでも私は天から盗んで、災いを受けなかった。だが金銀珠玉や穀物や布や財貨は、人が集めたものだ。どうして天が与えたものであろうか。おまえがそれを盗んで罪に問われたのは、誰を恨むことでもない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』天瑞篇向氏大いに惑い、國氏の重ねて己を罔うと以い、東郭先生を過ぎて焉に問う。東郭先生曰く、若の一身も庸ぞ盜に非ざらんや。陰陽の和を盜みて以て若の生を成し、若の形を載す。況んや外物にして盜に非ざらんや。誠に然り、天地萬物は相い離れざるなり。仞りて之を有つは、皆な惑いなり。國氏の盜は、公道なり、故に殃い亡し。若の盜は、私心なり、故に罪を得たり。公私有る者も、亦た盜なり。公私亡き者も、亦た盜なり。公を公とし私を私とするは、天地の德なり。天地の德を知る者は、孰をか盜と爲し、孰をか盜ならずと爲さんや、と。
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『列子』天瑞篇齊の國氏は大いに富み、宋の向氏は大いに貧し。宋より齊に之き、其の術を請う。國氏之に告げて曰く、吾は善く盜を爲す。始め吾盜を爲すや、一年にして給し、二年にして足り、三年にして大いに穰なり。此れより往、施して州閭に及ぶ、と。向氏大いに喜ぶ。其の盜を爲すの言を喩りて、其の盜を爲すの道を喩らず。遂に垣を踰え室を鑿ち、手目の及ぶ所、探らざる亡し。未だ時に及ばずして、贓を以て罪を獲、其の先に居る所の財を沒せらる。
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『列子』天瑞篇舜烝に問いて曰く、道は得て有つべきか、と。曰く、汝の身すら汝の有に非ざるなり、汝何ぞ夫の道を有つを得んや、と。舜曰く、吾が身吾が有に非ずんば、孰か之を有つや、と。曰く、是れ天地の委形なり。生も汝の有に非ず、是れ天地の委和なり。性命も汝の有に非ず、是れ天地の委順なり。孫子も汝の有に非ず、是れ天地の委蛻なり。故に行くも往く所を知らず、處るも持する所を知らず、食らうも以う所を知らず。天地の強陽は、氣なり。又た胡ぞ得て有つべけんや、と。
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『列子』天瑞篇長廬子聞きて之を笑いて曰く、虹蜺なり、雲霧なり、風雨なり、四時なり、此れ積氣の天に成る者なり。山岳なり、河海なり、金石なり、火木なり、此れ積形の地に成る者なり。積氣なるを知り、積塊なるを知る。奚ぞ壞れずと謂わんや。夫れ天地は、空中の一細物、有中の最巨なる者なり。終わり難く窮め難きは、此れ固より然り。測り難く識り難きは、此れ固より然り。其の壞るるを憂うる者は、誠に大いに遠しと爲す。其の壞れずと言う者も、亦た未だ是ならずと爲す。天地は壞れざるを得ざれば、則ち會ず壞るるに歸せん。其の壞るる時に遇わば、奚爲れぞ憂えざらんや、と。
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『列子』説符篇齊の田氏庭に祖す。食客千人。中坐に魚雁を獻ずる者有り。田氏之を視て、乃ち歎じて曰く、天の民に於けるや厚し。五穀を殖え、魚鳥を生じて以て之が用と爲す、と。衆客之に和すること響の如し。鮑氏の子年十二、次に預る。進みて曰く、君の言の如くならず。天地萬物は我と並び生ず。類なり。類に貴賤無し。徒だ小大智力を以て相い制し、迭いに相い食らうのみ。相い爲にして之を生ずるに非ざるなり。人は食らうべき者を取りて之を食らう。豈に天本と人の爲に之を生ぜんや。且つ蚊蚋は膚を噆み、虎狼は肉を食らう。天本と蚊蚋の爲に人を生じ、虎狼の爲に肉を生ずる者に非ざらんや、と。
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『列子』天瑞篇子列子曰く、天地に全功無く、聖人に全能無く、萬物に全用無し。故に天は生覆を職とし、地は形載を職とし、聖は教化を職とし、物は宜しき所を職とす。然らば則ち天に短なる所有り、地に長なる所有り、聖に否なる所有り、物に通ずる所有り。何となれば則ち、生覆する者は形載する能わず、形載する者は教化する能わず、教化する者は宜しき所に違う能わず、宜しき定まる者は其の位を出でず。故に天地の道は、陰に非ざれば則ち陽、聖人の教は、仁に非ざれば則ち義、萬物の宜は、柔に非ざれば則ち剛なり。此れ皆宜しき所に隨いて其の位を出づる能わざる者なり。