忍経 / 持燭燃鬢
宋丞相魏國公韓琦帥定武時,夜作書,令一侍兵持燭於旁,侍兵他顧,燭燃公之鬢,公劇以袖摩之,而作書如故,少頃回視,則已易其人矣。公恐主吏鞭笞,亟呼視之,曰:「勿易渠,已解持燭矣」。軍中咸服。
新字:宋丞相魏国公韓琦帥定武時,夜作書,令一侍兵持燭於旁,侍兵他顧,燭燃公之鬢,公劇以袖摩之,而作書如故,少頃回視,則已易其人矣。公恐主吏鞭笞,亟呼視之,曰:「勿易渠,已解持燭矣」。軍中咸服。
書き下し
宋の丞相魏國公韓琦、定武に帥たりし時、夜書を作る。一侍兵をして燭を旁に持たしむ。侍兵他を顧み、燭公の鬢を燃やす。公劇しく袖を以て之を摩し、而して書を作ること故の如し。少頃して回り視れば、則ち已に其の人を易へたり。公主吏の之を鞭笞せんことを恐れ、亟かに呼びて之を視て曰く、「渠を易ふること勿かれ、已に燭を持つことを解せり」と。軍中咸な服す。
現代語訳
宋の丞相、魏国公韓琦が定武軍の長であったとき、夜に手紙を書いていて、一人の護衛の兵に明かりを脇で持たせていました。兵がよそ見をしたため、燭の火が韓琦の鬢の毛を焦がしました。韓琦はとっさに袖で火をもみ消し、そのまま何事もなかったように手紙を書き続けました。しばらくして振り返ると、もう別の兵に替えられていました。韓琦は担当の役人がその兵を鞭打つのではないかと心配し、急いで呼び寄せて様子を見て、「あの者を替えてはならない。もう燭の持ち方を心得たのだから」と言いました。軍中の者はみな感服しました。
解説
北宋の宰相韓琦が、軍を率いていたときの逸話です。明かりを持つ兵がよそ見をして、韓琦の鬢の毛を焦がしてしまいました。韓琦は袖で火を払っただけで何も言わず、手紙を書き続けました。ところが兵は担当の役人によってすぐ替えられており、韓琦は罰を受けるのではと案じて、あの者はもう燭の持ち方を覚えたのだから替えるなと命じました。一度失敗した者こそ、次は同じ失敗をしないという見方です。失敗した人をすぐ外すのではなく、学んだ人として使い続けることは、人を育てる上で大きな意味を持ちます。部下の失敗に直面したとき、担当から外す前に、その経験を生かす道を考えたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
忍韓琦失敗育成寛容
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