忍経 / 鞍環不加罪
裴行儉嘗賜馬及珍鞍,令吏私馳馬。馬蹶鞍壞,懼而逃,行儉招還,云:「不加罪。」
新字:裴行倹嘗賜馬及珍鞍,令吏私馳馬。馬蹶鞍壊,懼而逃,行倹招還,云:「不加罪。」
書き下し
裴行儉嘗て馬及び珍鞍を賜はる。令吏、私かに馬を馳す。馬蹶きて鞍壞る。懼れて逃ぐ。行儉招きて還らしめ、云ふ、「罪を加へず」と。
現代語訳
裴行倹(唐の将軍)はかつて、天子から馬と見事な鞍を賜りました。ある令吏(書記役の役人)がひそかにその馬を乗り回したところ、馬がつまずいて鞍が壊れました。令吏は恐れて逃げ出しました。裴行倹は人をやって呼び戻させ、「罪には問わない」と言いました。
解説
唐の名将裴行倹の逸話で、『新唐書』裴行倹伝に見えます。天子から賜った馬と鞍を、部下の役人が勝手に乗り回して壊してしまいました。賜り物を損なうのは重い不始末で、役人は罰を恐れて逃げ出しました。裴行倹は呼び戻して罪に問わないと告げ、物よりも人を惜しんだのです。少し後にも、裴行倹が高価な瑪瑙の盆を割った部下を笑って許す話が収められています。失敗した部下が逃げ出すような職場では、次の失敗も隠されるようになります。責めずに呼び戻す一言が、人を立ち直らせ、組織に正直さを保つ力になるのでしょう。
この章句が説くこと
忍寛容失敗裴行倹部下
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