甲陽軍鑑 / 品第四十七
是身際論ともいはれぬ事、子細は手を手と取あふ程にての勝負也、又手と手を取あふても喧嘩とは申されず候、みぎはへ互による程にて脇指心なき故也、わきざし心なきは一向のわらはべなどのいさかひといふ物也、抑々男が四十·五十にあまり赤口關左衛門·寺川四郞右衛門などゝ官途·受領まで仕る侍が、いさかひなどあるは他國の批判もいかゞ、きはめては信玄が家の瑕になる事なりとて、
新字:是身際論ともいはれぬ事、子細は手を手と取あふ程にての勝負也、又手と手を取あふても喧嘩とは申されず候、みぎはへ互による程にて脇指心なき故也、わきざし心なきは一向のわらはべなどのいさかひといふ物也、抑々男が四十·五十にあまり赤口関左衛門·寺川四郎右衛門などゝ官途·受領まで仕る侍が、いさかひなどあるは他国の批判もいかゞ、きはめては信玄が家の瑕になる事なりとて、
書き下し
是身際論ともいはれぬ事、子細は手を手と取あふ程にての勝負也、又手と手を取あふても喧嘩とは申されず候、みぎはへ互による程にて脇指心なき故也、わきざし心なきは一向のわらはべなどのいさかひといふ物也、抑々男が四十·五十にあまり赤口関左衛門·寺川四郎右衛門などゝ官途·受領まで仕る侍が、いさかひなどあるは他国の批判もいかゞ、きはめては信玄が家の瑕になる事なりとて、
現代語訳
これは身際論とも言われぬ事。子細は、手を手と取り合う程にての勝負である。また手と手を取り合うても喧嘩とは申されず候。汀へ互いに寄る程にて脇指心なきゆえである。脇指心なきは、一向の童べなどの諍いという物である。そもそも男が四十・五十にあまり、赤口関左衛門・寺川四郎右衛門などと官途・受領まで仕る侍が、諍いなどあるのは他国の批判もいかが。きわめては信玄が家の瑕になる事であるとて。
解説
手を取り合っただけでは身際論とも喧嘩とも呼べない、子どもの諍いだと断ずる。しかも四十五十を過ぎて官途まで持つ者がそれをやった。他国の目に触れれば家の傷になるという所まで来て、処分が決まる。他国の目に触れれば家の傷になるという所まで来て、処分が決まる。四十五十を過ぎて官途まで持つ者が、子どもの諍いをやったことになる。
この章句が説くこと
喧嘩童年官途他国分別
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十七さるに付て典厩信繁·原美濃守·山本勘介此事始め終り言上也、信玄公きこしめし、寺川·赤口関何れもとしこばい、宿老にて男子道いまだ若きなりと見ゆる侍が、侍にいであふて伐つく事有べきに、さはなくして暫くおし付て罷有は、人にとりさへられたきとある事に相似たり、又押付らるゝ侍も武士が胸へ手をかけられかこると、一度にはや脇ざしをぬきつく所にてはなきか、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七さて両方ひいきの輩、赤口関左衛門寺川四郎右衛門におし付られたる間寺川手抦と云ふ、赤口関左衛門方は機を取失ふほど寺川をふみたふしたる、是は赤口関左衛門利口なるといふもあり、僉議まち〳〵の事なれば、目付の人廿人頭、横目の小人頭其日に聞付候、惣別信玄公御仕置に善悪の事、何事においても三日に一度書立を以て言上いたせとある目付衆へ御仕置故御耳に立、其座にある侍衆めしよせられ、双方の仕形をきこしめすに、何れの口も両方共に少しも脇指心なし、諸人きこつたへの批判にも、わきざしの心なしとあり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七又典厩信繁を以て寺川·赤口関が出入の塲にゐたる侍衆に、なにとて両人の仕形をとりあつかはぬぞと仰出さるれば当番の面々畏て候、赤口関·寺川が様子、町人か或は七八歳のわらはべなどのごとくに仕候間少しも大事是有まじきと存候故、取あつかひ申さず候と銘々口をそろへ申上る、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七然れば原美濃守·山本勘介両人を以て右の赤口関左衛門·寺川四郎右衛門両人に御尋候、さすがの侍共なるが、暫く取あふて両方に脇指の勝負なきは如何と尋ね給此両人其はづしも、さこそは申度存る事は有べけれ共、撿使原美濃守·山本勘介也、又右出入の座にゐる衆、武田の家に伝る侍、或ひは近国·他国の先方衆·牢人衆つばをならす人々の寄合なれば、赤口関·寺川作り事もならず、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七子細は侍が人にはをぬくなと云は、跡先を分別いたして其塲にてうちはたすべき覚悟をすえて其後申出し、若し敵方口をとり候はば、そこにては其身も申やみ候はん物を、申出さゞる以前に定めて大事は有まじきぞ、曲淵を御赦免候程にと存じ雑言は未練の至り也、武士にはなき事なれ共、縦へば侍があたまをはられたるよりも比興なり、あたまをはられたり共、相手をうちころし候はゞ、はじめのはられたるはきへて結句手がらなる事も有べし、今度の彥介が仕形は心中のよごれたる様子なり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七其由来は関東牢人に赤口関左衛門、上方牢人寺川四郎右衛門と申仁、両人の侍口がらかひいたし、旣に彼雑言に付て寺川四郎右衛門座を起て赤口関左衛門がむなづくしをとりて後ろのかべにおしつくる、赤口関左衛門おしたふされて、おきあがると雖も、寺川四郎右衛門其比四十余りの盛り、赤口関は五十六七の者なれば、おしつけられておくる事ならず、仰のきに成てゐながら赤口関左衛門が両方の足を以て寺川四郎右衛門が、ひはらをあらけなく踏ければ、寺川心に覚へず手をはなして三間斗跡へしさりて、色をわろくして機を取失ふ子細は、いきぶくろをふまれての事也、