甲陽軍鑑 / 品第四十
淨閑又物の興ある人にて諸藝に達し、旣に能などする事も古保庄太夫などゝ立ちあふても結句今福淨閑ましなり、ケ樣の人なれば、すみをいかにも面白う入らるゝ、さてたちのく時、淨閑手をぬぐわるこ、そこにて和尙宣ふ、今福入道は何として手ぬぐふぞとあれば、今の炭にてよごれ申し候と返事なり、扨て和尙宣ふは、炭燒の手こそよごれ候はんずれとあれば、今福入道申す、炭燒はしたこめてこれをいだすなれば、今は炭とりたる手こそよごれ申すべけれといへば、扨こそ先刻其方がためし物の儀科ありとも究てくびきる今福淨閑に其罪あらんと法興和尙のすゝめにて、今福入道其の後ためしものきらざるなり一信玄公御仕置に、
新字:浄閑又物の興ある人にて諸芸に達し、旣に能などする事も古保庄太夫などゝ立ちあふても結句今福浄閑ましなり、ケ様の人なれば、すみをいかにも面白う入らるゝ、さてたちのく時、浄閑手をぬぐわるこ、そこにて和尚宣ふ、今福入道は何として手ぬぐふぞとあれば、今の炭にてよごれ申し候と返事なり、扨て和尚宣ふは、炭焼の手こそよごれ候はんずれとあれば、今福入道申す、炭焼はしたこめてこれをいだすなれば、今は炭とりたる手こそよごれ申すべけれといへば、扨こそ先刻其方がためし物の儀科ありとも究てくびきる今福浄閑に其罪あらんと法興和尚のすゝめにて、今福入道其の後ためしものきらざるなり一信玄公御仕置に、
書き下し
浄閑又物の興ある人にて諸芸に達し、旣に能などする事も古保庄太夫などゝ立ちあふても結句今福浄閑ましなり、ケ様の人なれば、すみをいかにも面白う入らるゝ、さてたちのく時、浄閑手をぬぐわるこ、そこにて和尚宣ふ、今福入道は何として手ぬぐふぞとあれば、今の炭にてよごれ申し候と返事なり、扨て和尚宣ふは、炭焼の手こそよごれ候はんずれとあれば、今福入道申す、炭焼はしたこめてこれをいだすなれば、今は炭とりたる手こそよごれ申すべけれといへば、扨こそ先刻其方がためし物の儀科ありとも究てくびきる今福浄閑に其罪あらんと法興和尚のすゝめにて、今福入道其の後ためしものきらざるなり一信玄公御仕置に、
現代語訳
浄閑はまた物の興ある人で諸芸に達し、すでに能などをする事も、古保の庄太夫などと立ち合っても結局は今福浄閑のほうが勝りである。このような人であるから、炭をいかにも面白く入れられる。さて立ち退く時、浄閑は手を拭われる。そこで和尚が宣われる。今福入道はどうして手を拭うのかとあれば、今の炭で汚れましたと返事である。さて和尚が宣われるには、炭焼きの手こそ汚れましょうとあれば、今福入道が申す、炭焼きは下に籠めてこれを出すのだから、今は炭を取った手こそ汚れましょうと言えば、だからこそ先刻、その方の試し物の儀は、科があるといっても、詰まるところ首を斬る今福浄閑にその罪があろうと、法興和尚の勧めによって、今福入道はその後、試し物を斬らないのである。
解説
この章句が説くこと
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