孔子家語 / 三恕
孔子曰:「君子有三恕,有君不能事,有臣而求其使,非恕也;有親不能孝,有子而求其報,非恕也;有兄不能敬,有弟而求其順,非恕也。士能明於三恕之本,則可謂端身矣。」
書き下し
孔子曰わく、「君子に三恕有り。君有れども事うる能わず、臣有りて其の使わるるを求むるは、恕に非ざるなり。親有れども孝なる能わず、子有りて其の報いを求むるは、恕に非ざるなり。兄有れども敬する能わず、弟有りて其の順うを求むるは、恕に非ざるなり。士能く三恕の本に明らかならば、則ち身を端くすと謂う可し。」
現代語訳
孔子は言った。「君子には三つの『恕(おもいやり)』がある。自分が主君に仕えることができないのに、自分の臣下には自分に仕えることを求めるのは、恕ではない。自分が親に孝行することができないのに、自分の子には自分への恩返しを求めるのは、恕ではない。自分が兄を敬うことができないのに、自分の弟には自分に従うことを求めるのは、恕ではない。士たる者がこの三つの恕の根本をよく理解しているならば、その身を正しく保っていると言えるだろう。」
解説
本篇の題名にもなっている「三恕」の教えです。恕とは、自分の身に置き換えて相手の立場を思いやることを指し、『論語』の「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」に通じる考え方です。ここでは、自分ができていないことを他人には求めるという、人がしばしば陥りがちな矛盾した態度を、君主・臣下、親・子、兄・弟という三つの関係を例に戒めています。自分が主君や親、兄に対して十分に果たしていないにもかかわらず、自分より下の立場の者には厳しい忠誠や孝行、服従を求めてしまうことは珍しくありません。上に立つ者ほど、まず自分自身が上の者や年長者に対する義務を果たしているかを省み、それができて初めて下の者に何かを求める資格があるという、自己を律するための実践的な戒めです。
この章句が説くこと
三恕思いやり自己反省君臣父子兄弟端身
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