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孔子家語 / 致思

孔子適齊,中路聞哭者之聲,其音甚哀。孔子謂其僕曰:「此哭哀則哀矣,然非喪者之哀矣。」驅而前,少進,見有異人焉,擁鐮帶素,哭者不哀。孔子下車,追而問曰:「子何人也?」對曰:「吾丘吾子也。」曰:「子今非喪之所,奚哭之悲也?」丘吾子曰:「吾有三失,晚而自覺,悔之何及?」曰:「三失可得聞乎?願子告吾,無隱也。」丘吾子曰:「吾少時好學,周遍天下,後還喪吾親,是一失也;長事齊君,君驕奢失士,臣節不遂,是二失也;吾平生厚交,而今皆離絕,是三失也。夫樹欲靜而風不停,子欲養而親不待。往而不來者,年也。不可再見者,親也。請從此辭。」遂投水而死。孔子曰:「小子識之,斯足為戒矣。」自是弟子辭歸養親者,十有三。

新字:孔子適斉,中路聞哭者之声,其音甚哀。孔子謂其僕曰:「此哭哀則哀矣,然非喪者之哀矣。」駆而前,少進,見有異人焉,擁鐮帯素,哭者不哀。孔子下車,追而問曰:「子何人也?」対曰:「吾丘吾子也。」曰:「子今非喪之所,奚哭之悲也?」丘吾子曰:「吾有三失,晩而自覚,悔之何及?」曰:「三失可得聞乎?願子告吾,無隠也。」丘吾子曰:「吾少時好学,周遍天下,後還喪吾親,是一失也;長事斉君,君驕奢失士,臣節不遂,是二失也;吾平生厚交,而今皆離絶,是三失也。夫樹欲静而風不停,子欲養而親不待。往而不来者,年也。不可再見者,親也。請従此辞。」遂投水而死。孔子曰:「小子識之,斯足為戒矣。」自是弟子辞帰養親者,十有三。

書き下し

孔子斉に適き、中路に哭する者の声を聞く、其の音甚だ哀し。孔子其の僕に謂いて曰わく、「此の哭哀しきこと則ち哀し、然れども喪者の哀しみに非ず。」 駆りて前み、少しく進めば、異人有るを見る、鎌を擁し素を帯び、哭する者哀しからず。孔子車を下り、追いて問いて曰わく、「子は何人ぞや。」 対えて曰わく、「吾は丘吾子なり。」 曰わく、「子今喪の所に非ず、奚ぞ哭くこと之れ悲しきや。」 丘吾子曰わく、「吾に三失有り、晩にして自ら覚る、悔ゆとも何ぞ及ばん。」 曰わく、「三失聞くを得可きか。願わくは子吾に告げよ、隠す無かれ。」 丘吾子曰わく、「吾少き時学を好み、天下を周遍し、後に還りて吾が親を喪う、是れ一失なり。長じて斉君に事え、君驕奢にして士を失い、臣節遂げず、是れ二失なり。吾平生厚く交わりしも、而るに今皆離絶す、是れ三失なり。夫れ樹静かならんと欲すれども風停まず、子養わんと欲すれども親待たず。往きて来たらざる者は年なり。再び見る可からざる者は親なり。請う此より辞せん。」遂に水に投じて死す。 孔子曰わく、「小子之を識せ、斯れ戒めと為すに足れり。」是より弟子辞して親を養わんとして帰る者、十有三。

現代語訳

孔子が斉に行く途中、道端で泣く声を聞いた。その声は非常に悲しげであった。孔子は御者に言った。「この泣き声は悲しみではあるが、しかし身内を亡くした者の悲しみではないようだ。」 車を進め、少し先に行くと、見慣れぬ人物がいた。鎌を持ち、白い喪服の帯を締めているが、その泣き方は喪に服す者の悲しみとは違っていた。孔子は車を降り、追いついて尋ねた。「あなたは何者ですか。」 その人は答えた。「私は丘吾子という者です。」 孔子は言った。「あなたは今、喪に服す場にいるわけではないのに、どうしてそれほど悲しく泣くのですか。」 丘吾子は言った。「私には三つの過ちがあります。年老いてからそれに気づきましたが、悔いても取り返しがつきません。」 孔子は言った。「その三つの過ちを聞かせていただけますか。どうか私に話してください。隠さずに。」 丘吾子は言った。「私は若い頃、学問を好んで天下を巡り歩き、後になって帰ってみると親はすでに亡くなっていました。これが一つ目の過ちです。成長してからは斉の君に仕えましたが、その君主は驕り高ぶって贅沢し、士を失っていき、臣としての節義を全うできませんでした。これが二つ目の過ちです。私は生涯にわたって深く人と交わってきましたが、今ではみな縁が切れてしまいました。これが三つ目の過ちです。木は静かにしていたくても風はやまず、子は親を養いたいと思っても親はそれを待ってはくれません。過ぎ去って戻らないものは年月であり、二度と会うことができないものは親です。どうかこれでお別れさせてください。」そう言うと、そのまま水に身を投げて死んでしまった。 孔子は言った。「お前たちよ、これを心に刻みなさい。これは十分な戒めとなる。」これ以来、弟子で親を養うために郷里へ帰った者が十三人もいた。

解説

旅の途中で出会った丘吾子という人物が、学問や仕官に打ち込むあまり親孝行の機会を失ったことを悔いて、みずから命を絶ってしまう痛切な逸話です。丘吾子が挙げる三つの過ち、すなわち親の存命中に孝行を尽くさなかったこと、主君を選ぶ判断を誤ったこと、人間関係を維持できなかったことは、いずれも取り返しのつかない後悔として描かれています。「子養わんと欲すれども親待たず」の一節は、親孝行は先延ばしにできないという教えとして広く知られる言葉です。この話を聞いた弟子の十三人が、実際に郷里へ帰って親を養う道を選んだという結末は、教えが言葉だけで終わらず行動を促したことを示しており、時間には限りがあるという当たり前の事実を、私たちも日々の生活の中でどれだけ意識できているか、あらためて問いかけてくる話です。

この章句が説くこと

丘吾子三失孝行樹欲静而風不停悔恨

この一句を、あなたの毎日に。

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