近思録 / 巻4 存養
不能動人、只是誠不至。於事厭倦、皆是無誠處。
新字:不能動人、只是誠不至。於事厭倦、皆是無誠処。
書き下し
人を動かす能わざるは、只だこれ誠の至らざるなり。事に厭倦するは、皆これ誠無き処なり。
現代語訳
人を動かせないのは、ただ誠が至っていないからである。仕事に飽きて嫌になるのも、みな誠のないところから来ている。
解説
二十字あまりの短い一条だが、二つを同じ原因に帰しているのが鋭い。人が動かないのも、自分が飽きるのも、どちらも誠が足りないからだ、と。前半は分かりやすい。後半が効く。仕事に飽きたとき、人はたいてい仕事の側に原因を探す——内容がつまらない、評価されない。程頤はそれを認めず、誠の不足に帰す。心が本気で向いていないから飽きるのであって、飽きたから本気が出ないのではない、という順序である。原因を自分の側に引き受ける、近思録らしい厳しさが凝縮された一句である。
この章句が説くこと
人を動かす能わず誠至らず事に厭倦す原因を自分に引く誠実
関連する章句
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
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