近思録 / 巻2 為学
人多以老成則不肯下問、故終身不知。又爲人以道義先覺處之、不可復謂有所不知、故亦不肯下問。從不肯問、遂生百端欺妄人我、寧終身不知。
新字:人多以老成則不肯下問、故終身不知。又為人以道義先覚処之、不可復謂有所不知、故亦不肯下問。従不肯問、遂生百端欺妄人我、寧終身不知。
書き下し
人多く老成なるを以て則ち下問を肯んぜず、故に終身知らず。また人に道義の先覚を以てこれに処らるれば、復たいささかも知らざる所有りと謂うべからず、故に亦た下問を肯んぜず。問うを肯んぜざるに従いて、遂に百端の欺妄・人我を生じ、寧ろ終身知らず。
現代語訳
人は多く、自分が年功を積んだからといって下の者に問うことを潔しとせず、だから生涯知らないままでいる。また人から道義の先覚者として扱われると、もはや知らないことがあるとは言えなくなり、やはり下の者に問おうとしない。問うことを拒むうちに、さまざまな偽りやごまかし、自他の隔てが生まれ、けっきょく生涯知らないままで終わる。
解説
下の者に問えなくなる理由を、二つに分けて示している。第一は自分の側の年功意識。第二は周囲からの扱いで、先覚者として遇されると、知らないと言えなくなる。後者のほうが厄介である。本人が謙虚でも、まわりが作った位置が口を塞ぐからだ。そして結果が容赦なく書かれる。問わないうちに偽りとごまかしが積み重なり、生涯知らないままで終わる。地位が上がるほど情報が入らなくなるという、組織で普遍的に起きる現象を、十一世紀に言い当てている。
この章句が説くこと
下問を肯んぜず老成先覚として処らる終身知らず謙虚謙虚さ
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