鬼谷子 / 中経
見形爲容、象體爲貌者、謂爻爲之生。也。可以影響形容象貌而得之也。有守之人、目不視非、耳不聴邪、言必詩書、行不僻淫、以道爲形、以徳爲容、貌莊色温、不可象貌而得也。如是、隱情塞郄而去之。
新字:見形為容、象体為貌者、謂爻為之生。也。可以影響形容象貌而得之也。有守之人、目不視非、耳不聴邪、言必詩書、行不僻淫、以道為形、以徳為容、貌荘色温、不可象貌而得也。如是、隠情塞郄而去之。
書き下し
形を見て容と爲し、體に象りて貌と爲すとは、爻の之が生を爲すを謂うなり。影響形容象貌を以て之を得べきなり。守る有るの人は、目に非を視ず、耳に邪を聴かず、言は必ず詩書、行いは僻淫ならず。道を以て形と爲し、德を以て容と爲す。貌は莊にして色は温なり。象貌して得べからざるなり。是くの如くんば、情を隱し郄を塞ぎて之を去る。
現代語訳
形を見てかたちとし、体にかたどって姿とするとは、卦の爻がそれを生じることをいう。影や響き、かたちや姿によってそれを読み取ることができる。だが、守るところのある人は、目でよこしまなものを視ず、耳でよこしまなものを聴かず、言葉は必ず詩書によっており、行いは偏らず淫らでない。道をかたちとし、徳を姿とする。姿は荘重で顔色は温かい。姿かたちから読み取ることができない。そうであれば、実情を隠し隙を塞いで、その場を去る。
解説
外見から人を読む技法の説明が、途中で反転します。守るところのある人には効かない、と。目で邪を視ず、耳で邪を聴かず、言葉は古典により、行いが偏らない。そういう人は、道が形になり徳が姿になっているので、外見から内側を読めない。そして読めない相手には「情を隱し郄を塞ぎて之を去る」——こちらも隠して立ち去る。読む技術を説く篇が、読めない人の条件を明示している。守るものを持っていれば読まれない、というのは、読まれる側にとっての防御法でもあります。
この章句が説くこと
守る有るの人は目に非を視ず道を以て形と為し徳を以て容と為す象貌して得べからず修養防御人物眼
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