鬼谷子 / 符言篇
循名而爲、實安而完。名實相生、反相爲情。故曰:名當則生於實、實生於理。理生於名實之德、徳生於和、和生於當。右主名。
新字:循名而為、実安而完。名実相生、反相為情。故曰:名当則生於実、実生於理。理生於名実之徳、徳生於和、和生於当。右主名。
書き下し
名に循いて爲せば、實は安んじて完し。名實相い生じ、反りて相い情を爲す。故に曰く、名は當たれば則ち實に生じ、實は理に生ず。理は名實の德に生じ、德は和に生じ、和は當に生ず、と。
現代語訳
名に従って行えば、実は安らかに完うされる。名と実は互いに生じ合い、返って互いの実情となる。だから言う、名が的中していれば実から生じ、実は理から生じる。理は名と実の徳から生じ、徳は和から生じ、和は当たっていることから生じる、と。
解説
符言篇の結びは、名と実の循環です。名は実から生じ、実は理から、理は徳から、徳は和から、和は当たっていることから生じる。五段さかのぼって、根に「当」——的中していることが置かれます。名前と実体が合っていること、が出発点です。組織で言えば、役職名と実際の権限が合っているか、事業の看板と中身が合っているか。ここがずれていると、そこから上に積むものすべてがずれる。名実の一致は、格好の問題ではなく、あらゆることの土台だという主張です。
この章句が説くこと
名実相い生ず名は当たれば則ち実に生ず和は当に生ず名実本質組織
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呂氏春秋・審分⑤故に其の實を按じて其の名を審らかにして、以て其の情を求め、其の言を聽きて其の類を察し、放悖せしむる無し。夫れ名は其の實に當らざること多くして、事は其の用に當らざる者多し。故に人主は以て名分を審らかにせざる可からざるなり。名分を審らかにせざるは、是れ壅を惡みて愈々塞がるなり。壅塞の任は、臣下に在らず、人主に在り。堯・舜の臣、獨り義ならず、湯・禹の臣、獨り忠ならず、其の數を得ればなり。桀・紂の臣、獨り鄙ならず、幽・厲の臣、獨り辟ならず、其の理を失えばなり。
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