格言聯璧 / 惠吉類・圓通の人は其の福必ず厚し
萬類相感,以誠以忠。 做人無成心,便帶福氣。 做事有結果,亦是壽征。 執拗者福輕,而圓通之人,其福必厚。 急躁者壽夭,而寬宏之士,其壽必長。
新字:万類相感,以誠以忠。 做人無成心,便帯福気。 做事有結果,亦是寿征。 執拗者福軽,而円通之人,其福必厚。 急躁者寿夭,而寛宏之士,其寿必長。
書き下し
萬類相感ずるは、誠を以てし忠を以てす。 人と做りて成心無ければ、便ち福氣を帶ぶ。 事を做して結果有るは、亦是れ壽の征なり。 執拗なる者は福輕くして、圓通の人は、其の福必ず厚し。 急躁なる者は壽夭くして、寬宏の士は、其の壽必ず長し。
現代語訳
あらゆるものが互いに感じ合うのは、誠と真心によってです。 人となりに先入観やこだわりがなければ、それだけで福を帯びます。 事に取り組んでしっかり結末をつけるのも、長寿のしるしです。 頑固な人は福が薄く、融通のきく人は、その福が必ず厚いものです。 せっかちな人は若死にし、心の広い人は、その寿命が必ず長いものです。
解説
一行目は前の単位の「造物所忌」と対になり、天が刻と巧を嫌う一方、万物は誠と忠によって感じ合うと述べます。続く対句は、人となりと仕事ぶりを並べ、こだわりのない心は福を、最後までやり遂げる姿勢は長寿を招くと言います。壽征は長寿の兆しのことです。最後の対句は、執拗と圓通、急躁と寬宏を比べ、性格が福と寿命を左右するという見方を示します。頑固さや短気が人間関係を損ない、心身の負担にもなることは、今の私たちも経験から知っています。こだわりを手放すことと、仕事を投げ出さず仕上げることは矛盾せず、両立してこそ福になるのでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
誠寛容融通長寿修身
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