格言聯璧 / 從政類・治道の要は人を知るに在り
必無私,斯上下四旁咸得其平。 治道之要,在知人。君德之要,在體仁。 禦臣之要,在推誠。用人之要,在擇言。 理財之要,在經制。足用之要,在薄斂。
新字:必無私,斯上下四旁咸得其平。 治道之要,在知人。君徳之要,在体仁。 禦臣之要,在推誠。用人之要,在択言。 理財之要,在経制。足用之要,在薄斂。
書き下し
必ず私無くして、斯に上下四旁咸な其の平を得。 治道の要は、人を知るに在り。君德の要は、仁を體するに在り。 臣を禦するの要は、誠を推すに在り。人を用ふるの要は、言を擇ぶに在り。 財を理むるの要は、經制に在り。用を足すの要は、斂を薄くするに在り。
現代語訳
必ず私心をなくしてこそ、上下四方がみな公平を得られます。 政治の要は、人を知ることにあります。君主の徳の要は、仁を身につけることにあります。 臣下を統御する要は、誠意を押し広げることにあります。人を用いる要は、その言葉を選び見分けることにあります。 財政を治める要は、制度を定めることにあります。費用を足らせる要は、税の取り立てを軽くすることにあります。
解説
一行目は前の単位の「惟有主」と対になり、主体を立てたうえで私心をなくせば、四方に公平が行き渡ると説きます。続く三行は「〜之要、在〜」を六つ連ねた句で、政治の要点を一語ずつに絞り込んでいます。人を知る、仁を体する、誠を推す、言を択ぶは人の扱いにかかわり、経制と薄斂は財政にかかわります。用を足らせる要が薄斂にあるというのは、取り立てを軽くすれば民が豊かになり、かえって国の用が足りるという逆説です。この列挙は次の単位の「除寇之要」まで続きます。組織の運営でも、人を見る目と、出費を抑える仕組みが両輪であることは変わりません。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
治政知人仁誠財政
関連する章句
-
『五常訓』巻之三・仁之下一程子の言に、聖賢の仁をいへる処をあつめて見ば、仁を知り得んといへり。今の学者、仁を知らんとならば、孔孟程朱の仁を説き給へる言を、数年の間、心をひそめて、求め味ふべし。急迫にすべからず。誠積み力久しくば、自然に其理を知るべし。若然らずば、聰明博学の人といへども、仁をば知りがたかるべし。
-
『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
-
『童子問』卷上問ふ、先生既に仁を以て聖門の第一字と為し、而して又忠信を以て仁を行ふの地と為すは、何ぞや。曰く、有子曰く、「孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」と。孔子曰く、「忠信を主とす」と。夫れ孝弟は順徳、忠信は実心なり。人若し忠信ならざれば、則ち名は孝と為すと雖も実は孝に非ず、名は忠と為すと雖も実は忠に非ず。礼儀三百・威儀三千、節文度数粲然として観るべしと雖も、皆虚文末節にして、要するに観るに足らず。剪勝の華樹を観るが如し。目を悦ばしむるに足ると雖も、本真に非ず。奚ぞ以て貴しと為すに足らん。故に曰く、「誠ならざれば物無し」と。忠信を仁を行ふの地と為す、亦宜ならずや。
-
『洗心洞箚記』卷下・第百十條又曰く、天地は虚を以て徳と為す、至善なる者は虚なり。虚なる者は、天地の祖なり、天地は虚中より来る、と。又曰く、虚なる者は、仁の原なり。忠恕なる者は、仁と俱に生ず。礼義なる者は、仁の用なり、と。又曰く、敦厚虚静は、仁の本なり。敬和接物は、仁の用なり、と。又曰く、虚心にして、然る後に能く心を尽くす、と。又曰く、虚なれば則ち仁を生ず、仁は理に在りて以て之を成す、と。又曰く、虚心なれば則ち外以て累と為す無し、と。又曰く、当に心を以て天の虚を求むべし。大人は其の赤子の心を失はず。赤子の心今知るべきなり、其の虚なるを以てなり、と。又曰く、静なる者は、善の本なり。虚なる者は、静の本なり。静は猶ほ動に対す、虚は則ち至一なり、と。右十有一条は、張子の人に太虚に帰するを教ふるの則なり。而して其の静なり、赤子の心なり、無累なり、仁なり、尽心なり、自然なり、敬和なり、礼義なり、忠恕なり、至善なり、実なり、誠なり、太虚より出づるに非ざれば、則ち善と雖も偽に流る。故に太虚に帰すれば、則ち皆其の徳なり。帝王の政、聖賢の学、此に外ならず。吾が党の学人、宜しく心を尽くすべき者なり。
-
『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
-
『洗心洞箚記』卷下・第六十五條親の字は、父母の双称にして、義甚だ重し。夫れ父母の子に於けるや、唯だ其の疾を之れ憂ひ、心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず。皆実心子を愛するの誠にして、擬議安排を仮りて然るに非ざるなり。然り而して子の父母を養ひ、臣の君に仕へ、婦の夫に順ひ、弟の兄を敬ひ、君の民を使ふ、欲有れば則ち彼此相隔たり、痛癢饑寒の身に切なるが如くなること能はず。皆是れ不仁にして、父母の心無き者なり。如し真に良知を致さば、則ち亦惟だ其の疾を之れ憂ひ、心誠に之を求むるの外、更に道無し。而して厚薄軽重を親疎遠近の間に存すと雖も、要するに天下皆吾が仁に帰するなり。故に陽明子曰く、親民は仁民なりと。人如し能く之を体貼すれば、則ち親の字決して新の字と作すべからず。是れ乃ち黙識すべし、心悟すべし。