家道訓 / 巻之六・用財下
貧窮なるものは、借れる財を償ふことならず、後にかへさんとおもへども、其の時過ぎぬれば忘れやすくして、つぐのはんことを思はず。いやしき歌に、「うきこともうれしきことも過ぎぬれば、其の時ほどはおもはざりけり」とよめるが如し。我が身の難儀なる時、人のめぐみを受けて、後まで忘れざる人はまれなり。然るに、其の借れる財のおひめをつぐのはざる時、此方より乞ひ求むれば、財を借りたる者うらみいきどほりて、中絕ゆるにいたる。或はうらみふかくて、あだかたきとなるにいたるもあり。こなたより責め乞はざれども、借りて返さゞるものの方にひが事あるゆゑ、親戚といへども、必ずわれにそむきて疎くなる。いはんや朋友他人はさらなり。是財を費してかたきを求むるなり。かねてよく慮るべし。
新字:貧窮なるものは、借れる財を償ふことならず、後にかへさんとおもへども、其の時過ぎぬれば忘れやすくして、つぐのはんことを思はず。いやしき歌に、「うきこともうれしきことも過ぎぬれば、其の時ほどはおもはざりけり」とよめるが如し。我が身の難儀なる時、人のめぐみを受けて、後まで忘れざる人はまれなり。然るに、其の借れる財のおひめをつぐのはざる時、此方より乞ひ求むれば、財を借りたる者うらみいきどほりて、中絶ゆるにいたる。或はうらみふかくて、あだかたきとなるにいたるもあり。こなたより責め乞はざれども、借りて返さゞるものの方にひが事あるゆゑ、親戚といへども、必ずわれにそむきて疎くなる。いはんや朋友他人はさらなり。是財を費してかたきを求むるなり。かねてよく慮るべし。
書き下し
貧窮なるものは、借れる財を償ふことならず、後にかへさんとおもへども、其の時過ぎぬれば忘れやすくして、つぐのはんことを思はず。いやしき歌に、「うきこともうれしきことも過ぎぬれば、其の時ほどはおもはざりけり」とよめるが如し。我が身の難儀なる時、人のめぐみを受けて、後まで忘れざる人はまれなり。然るに、其の借れる財のおひめをつぐのはざる時、此方より乞ひ求むれば、財を借りたる者うらみいきどほりて、中絶ゆるにいたる。或はうらみふかくて、あだかたきとなるにいたるもあり。こなたより責め乞はざれども、借りて返さざるものの方にひが事あるゆゑ、親戚といへども、必ずわれにそむきて疎くなる。いはんや朋友他人はさらなり。是財を費してかたきを求むるなり。かねてよく慮るべし。
現代語訳
貧しい者は、借りた財を返すことができず、のちに返そうと思っても、その時が過ぎれば忘れやすく、返そうとも思わなくなります。卑俗な歌に「つらいこともうれしいことも、過ぎてしまえば、その時ほどには思わないものだ」と詠んでいるようなものです。自分が難儀している時に人の恵みを受けて、のちまで忘れない人はまれです。それなのに、その借りた財を返さない時、こちらから催促すれば、財を借りた者は恨み憤って、仲が絶えるに至ります。あるいは恨みが深くて、仇や敵となるに至ることもあります。こちらから責めて催促しなくても、借りて返さない者の側に後ろめたさがあるので、親戚であっても必ず自分に背いて疎遠になります。まして友人や他人ならなおさらです。これは財を費やして敵を求めるようなものです。前もってよく考えなさい。
解説
この章句が説くこと
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『家道訓』巻之六・用財下一親戚故旧朋友のまどしき者、我が財物を借らば、我が力にしたがひて財を与ふべし、貸すべからず。与ふれば、我が仁愛の道行はれて、我が心に快し。彼も我が恩に感ず。およそ、借るものは貧しく財なき故にかる。借りて返せばいよいよまどしくなる故に、きはめて廉直の人にあらざれば、かへすことまれなり。初貸さざるうらみは少しにして、借りて後かへさざるをこなたより乞ふ時、借れるもののうらみいかりは甚ふかし。したしき人には、ことさら財を貸すべからず。成るべきほどはあたふべし。財を貸すはわざはひをもとむるなり。後にはたがひにうらみ出来、中うとくなること多し。いやしき俗のうたに、「しる人に物ばし貸すなただやりね、貸さぬうらみは乞ふほどはなし」といへり。
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『家道訓』巻之六・用財下一親戚朋友に、已む事を得ずして物を貸さば、初よりあたふると心得て借すべし。借れる時はよろこべども、時過ぎぬればめぐみをわすれて返さず。其の時かねてあたへたると心得ぬればうらみなし。貸せる物を必ず得んと思ひて責めはたれども、かへさざれば、いかりて中絶ゆるは世に多きならひなり。かねて其の心得ありて、貸したる物を必ず得んとおもふべからず。貸せるものを必ず得んと思ふは、人情を知らざるなり。かりて返さざるは、世俗のならひなりと心得べし。いかるべからず。
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『家道訓』巻之六・用財下一親戚朋友に対し、財をやりとりする時、我が財を損ぜざるやうに、我が利運のごとくせんとすれば、快からざることあり。取るにも遣るにも、我が財を少し損失するをいとはざれば、何事なく、我も人もたがひに心よし。我が得分にする道理ながら、其の理非を論じ、少しの財のためにあらそひて、人をとがめて人の心をうしなふこと多し。人に財を貸して其のおひめをとるも、全く我が損失なからんとすれば、事ゆかずして行はれがたし。少し我が財を捨つれば、無事にしていたづかはしからず。是わづかのつひえ、家のため少しも害なし。
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『家道訓』巻之六・用財下一後の事遠慮なき人は、当時身のやしなひにおごり、酒食をゆたかにし、家居をよくし、衣服をかざり、欲をほしいままにして費ををしまず、財つきぬれば人に借ることをうれへず。財を貸す人だにあれば幸にして、おほく借ることをこのむ。是眼前を快くして、後の災をかへりみず。然るに只今さへ我が財なくして、人に借り求むるほどなるに、借れる財に、年々利息くははりゆけば、いよいよ財つきて、借れる物をつぐのふべき力なくて、必ず家をやぶる。初に早く後の事をおもんぱかり、後の憂なき計をなすべし。
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『家道訓』巻之六・用財下一おごりてほしいままなる人は、三年に用ふる財を一年につひやし尽くす。たとへば無養生なる人、慾をほしいままにすれば、百年の元気を一時にへらして、身を失ふが如し。一山谷が詩に曰く、深く鄰里を煩はさんことを念ひ、窮を忍びて貸除を禁ず。此詩の意は、人の財を借り、人の物をおぎのり買ひて返さざれば、我が郷里人のわづらひとなるをふかく思案して、身の艱難をこらへて、人の財を借らず人の物をおぎのらずといへる意なり。家を治むるの道かくの如くすべし。財を貸したる者、物を売りし者のうれひうらみをおもひはかるべし。むかしの人は、家まどしけれど、艱難をこらへて、我がもてる家財を以て家をすぐして、人の財をからず。故に今時の如く、人ごとにまどしきうれひなし。或は小禄の人も、財のたくはへありて、不慮の時の変にそなへしなり。今の人はおごりつひやして、必ず家財不足す。時の風俗にならひて、当時の慾をほしいままにして、後のうれひをおもんぱからざるなり。
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『家道訓』巻之五・用財中一貧窮の時、艱苦を堪忍すること、つとめて守るべし。世の人、多くは家をたもつに法なく、倹約の道を知らずして、貧窮を堪忍することなく、後日のわざはひをはからず、当時の欲にまかせて、分に過ぎて財を多く用ふるゆゑに、財たらず。古の人、我が身を倹約にし、万不自由をこらへ、財をみだりにつひやさず、人の財を借ることをきらひて、ふかき恥辱とす。故に財を借る人まれなり。もし已むことを得ずして人に借れば、恥ぢて云はずかくしてあらはさず。今の人は、人の財を借ることをこのみ、人に借ることを恥ぢず、かへつて借る事多きを以てめいぼくとす。財を借りて、みだりに用ふる人を、無欲なり、心いさぎよきとて褒む。又倹約にしてみだりに費さず、人の財を借らざる人をば、かへりて吝嗇なりとて議る。世こぞりてかくのごとき風俗となれり。習ひて風をなせり。一人のとがにはあらず。されど人々我がとがぞと思ひて、身にかへりみて道を行ふべし。是倹約と吝嗇との善悪をわきまへざること、雪と墨とを見分けざるが如し。愚なりと云ふべし。
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