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囲炉夜話 / 第百九十六則・人は自立するを貴ぶ

堯舜大聖,而生朱均。瞽鯀之愚,而生舜禹。揆以餘慶殃之理,似覺難憑。 然堯舜之聖,初未嘗因朱均而減。瞽鯀之愚,亦不能因舜禹而掩。 所以人貴自立也。

新字:堯舜大聖,而生朱均。瞽鯀之愚,而生舜禹。揆以余慶殃之理,似覚難憑。 然堯舜之聖,初未嘗因朱均而減。瞽鯀之愚,亦不能因舜禹而掩。 所以人貴自立也。

書き下し

堯舜は大聖なり、而るに朱均を生む。瞽鯀の愚にして、而も舜禹を生む。揆るに餘慶殃の理を以てすれば、憑り難きを覺ゆるに似たり。 然れども堯舜の聖は、初めより未だ嘗て朱均に因りて減ぜず。瞽鯀の愚も、亦た舜禹に因りて掩ふ能はず。 所以に人は自立するを貴ぶなり。

現代語訳

堯と舜は偉大な聖人でしたが、丹朱や商均という不肖の子を生みました。瞽瞍や鯀は愚かでしたが、舜や禹という聖人を生みました。善を積む家には慶びが残り、不善を積む家には災いが残るという道理に照らすと、当てにならないように思えます。けれども、堯や舜の聖徳は、丹朱や商均のせいで少しも減りはしませんでした。瞽瞍や鯀の愚かさも、舜や禹がいるからといって覆い隠すことはできませんでした。だから人は、自分の力で立つことが大切なのです。

解説

親子の出来の違いから、人は自分で立つものだと結ぶ則です。朱は堯の子の丹朱、均は舜の子の商均で、ともに不肖の子とされます。瞽は舜の父の瞽瞍、鯀は禹の父で、どちらも愚かな人物として伝えられます。『易経』の「積善の家には必ず余慶有り、積不善の家には必ず余殃有り」に照らすと、この親子関係は説明がつかないように見えます。しかし著者は、親の聖徳は子の不肖で損なわれず、親の愚かさは子の聖徳で隠されないと言い、評価は一人一人に帰すると結論します。家柄に頼ることも嘆くことも要らず、自分の行いで立てという教えです。

この章句が説くこと

自立因果積善聖人修身

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