囲炉夜話 / 第八十七則・我も亦た嘗て其の情を體するや否や
家之長幼,皆倚賴於我,我亦嘗體其情否也。 士之衣食,皆取資於人,人亦曾受其益否也。
新字:家之長幼,皆倚頼於我,我亦嘗体其情否也。 士之衣食,皆取資於人,人亦曽受其益否也。
書き下し
家の長幼は、皆我に倚賴す、我も亦た嘗て其の情を體するや否や。 士の衣食は、皆資を人に取る、人も亦た曾て其の益を受くるや否や。
現代語訳
家の中の年長者も年少者も、みな自分を頼りにしています。自分はこれまで、その人たちの気持ちを汲み取ってきたでしょうか。読書人の衣食は、みな人から得ています。その人たちは、これまで自分から何かの益を受けてきたでしょうか。
解説
二つの問いかけで、頼られる側と養われる側の両方の自覚を促した則です。前半は家長の立場で、家族はみな自分を頼っているが、自分はその気持ちを本当に汲んできたかと問います。頼られていることに安住せず、相手の身になって考えてきたかを振り返らせる句です。後半は士、つまり読書人や役人の立場で、自分は田を耕さず物も作らないのに衣食を得ているが、世の人はその見返りを受けているかと問います。頼られる立場でも頼る立場でも、受けたものに報いているかを問う点で、二句はつながっています。今日に置きかえれば、部下を持つ人は部下の思いを汲めているか、給料を得る人は顧客や社会に見合う価値を返せているか、という問いになるでしょう。定期的に自分に投げかけたい問いです。
この章句が説くこと
家訓責任報恩体察修身
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